「骨を彩る」

tetu-eng2019-01-27

「骨を彩る」
彩瀬まる
平成29年2月10日第1刷
幻冬舎文庫

やれ、やれ、先週の週末は、細君が熱発。ぼくが、家事一切をやる事となりました。食事の準備、片付け、洗濯、掃除、ごみ捨て、買い物など、主夫業務は、大変です。日頃の細君の働きに感謝するとともに、「早く、治ってよ!」と、神仏にお願いです。

ところが、とうとう、日曜日の夕方、医療センターの休日外来を受診。待合室は、額にネツピタを貼り付けた人で、いっぱいです。ここにいたら、一発で感染してしまいそうなので、とりあえず、細君を残して、帰宅。受診終了のメールを受けて、再び、迎えに参上。

結果は、インフルではなく、喉風邪でしょう・・・とのこと。まあ、それはそれで、一安心。それでも、熱は下がらないので、細君は、安静にしていましたが、月曜日には、漸く、解熱。よかった!よかった!ってなこともあり、やっぱり、今年は、波乱の幕開けです。

話は変わりますが、テニスの全豪オープンは、錦織、大坂両選手の活躍に、毎日、ワクワクドキドキ。ただし、錦織の故障が深刻でないことは祈っています。でも、あの体格で、すばらしい活躍だと思います。それにしても、大坂は、すごいね。ファンには、ビッグなプレゼントです。

Congratulations to NAOMI !

さて、彩瀬まるさんの「骨を彩る」。小泉今日子さんが、読売新聞の書評委員をしていた頃のこと。この作品の書評を寄せていました。「著者が紡ぐ言葉や情景がとても美しくて何度も泣きたくなった。」とのこと。たしかに、いい作品だと思います。キョンキョンが言っているから、という訳ではありません。1986年生まれなので、まだ、32歳。この人は、きっと、直木賞作家になると確信しています。

若くして病のために亡くなった妻。残された津村と小春という一人娘。妻は、3冊の手帳を残していました。その手帳は、妻が読んだ本から気に入った言葉・・・フレーズの備忘録でした。1冊は妻の姉、1冊は小春、そして、一番新しい1冊は津村が形見として引き継ぎました。

妻が亡くなって10年、津村は、妻の夢をよく見るようになりました。夢の中の妻は、なぜか、指の数が揃っていません。そのころ、津村は、ある女性との出逢いがありました。そんなとき、津村は、久しぶりに、手帳を開いて読みなおします。

『たくさんの文章、たくさんの意志、たくさんの祈り。その狭間に埋め込まれた、だれもわかってくれない。三度目でもまだ磁石のようにその一箇所へ目が吸い寄せられ、背筋が冷えた。・・・・・・
だれもわかってくれない、の「い」の後には、ごく薄く、かすれそうな筆跡で欄外へと誘導する線が引っ張られていた。その線にそって目線を下げる。・・・・・
線は、川端康成の抜粋で文章が特に込み入ったページの下部へと続いていた。
うらまない。
この手帳は妻が悲嘆の十一文字からこの五文字に辿りつくまでの、長く孤独な旅の足跡だった。』

筆者は、人間の感情を「骨」のうずきや軋みで表現しています。それが何を意味するのか?解らないところはありますが、おそらく、「心」を「骨」に置き換えて、生物的に捉えようとしたのではないでしょうか?たしかに、「心がうずく」とき、「骨もうずく」。「心がふるえる」とき、「骨もふるえる」。

描写として斬新だと思います。読了後、筆者の他の作品も読んでみたいとの衝動にかられています。

亥年は受難の年か?

tetu-eng2019-01-20


亥年は、波乱が起こる・・・とは、先週に書きました。

実は、我が家では、正月初日から波乱続きです。

1月1日、夕食のとき、ぼくの奥歯が欠けました。歯医者さんは、お休みなのでどうにもなりません。幸い、左程、違和感のある部位ではなかったので、行きつけの歯医者さんが開くまで、なんとか、辛抱することができました。1月5日、行きつけの歯医者さんに無理を言って予約の隙間に補修していただきました。ということで、事なきを得ました。ありがとうございました。

1月2日夜、のん兵衛の息子が幼友達とホワイト・ツリー屋で飲んだくれた後の出来事です。事件は、3日の朝に発覚。彼の幼友達が、鞄がなくなったと青ざめてやってきました。どうも、昨夜の飲み屋で盗難にあったようです。それから、息子も付き合って警察に盗難届けを出しに大わらわです。これは、息子の友だちの話。

1月4日昼、息子が「ぼくのパーカーは?」・・・・一昨夜、息子は、飲み屋にパーカーを忘れたようです。なんで、今頃、気がつくの?このパーカー、実は、なかなか入手の難しいブランドのパーカー。こりゃ、鞄と同じで盗難にあったのでは?とうとう、パーカーは、姿を消してしまったのです。これは、ぼくのおバカな息子の話。

それから、1週間、何事もなく過ぎたのですが・・・・

1月13日午前中、いつものテニスの練習を気持ちよく始めたとき。今日は、スマッシュの練習。しかも、アレーコートへのスマッシュ。うむ、ちょっと、右の首筋に違和感。そのまま、約1時間半のテニスのレッスンメニューは終了。でも、首が痛い。

その日の午後、首が頭の重みに耐えられずに、ちょっと動かすと激痛の連続。なんじゃ!こりゃ!首が動くたびに「う〜〜〜〜〜〜!」と唸らずには耐えられない痛み。行きつけの整形はお休みだし、痛み止めを服用して、経皮鎮痛消炎剤を塗って、様子を見るほかなし。その日の夜は、頭を動かさないように、「そ〜と、そ〜と」、寝ました。

翌日、不思議なことに激痛は治りました。ただし、首が動かないのはそのまま。それから、行きつけの整体で調整をしてもらい、漸く、2〜3日すると、徐々に、首も動くようになり、なんとか、首の危機を脱出。・・・・ここまで、ぼくの話。

今年は、何かが起こる。

いや、これ以上は、大過なくすごしたいと願って止まない今日この頃です。

「みかづき」

tetu-eng2019-01-13

みかづき
森 絵都
2018年11月25日第1刷
集英社文庫

「イノシシ年」は、何かと波乱の年となるそうです。新年の賀詞交換の場で、そういった発言を何人からか聞きました。「へえ、そうなんだ」というのが、ぼくの感想。でも、ほんとうに、12年前が波乱の年だったか?2007年・・・覚えていませんが、イノシシは、猪突猛進、ドタバタと走り回るイメージからの言葉かな?

でも、今年は新年早々、熊本で地震、株価は急落後戻りが遅い、韓国との二国間は訳のわからない状況、米中摩擦は出口が見えない、いよいよイギリスのEU離脱、そして、今上天皇のご退位とともに平成の御世から新しい元号に変わるなどなど、いろいろと波乱を予感させる年になりそうです。

特に、韓国との問題は、どうなっているのでしょうか?日本も民主党政権のときに日米関係が最悪の状態になったので、韓国も政権が変われば風向きが変わるかもしれません。とは言っても、それまでに、例えば、徴用工の問題では、日本企業の財産が差し押さえられ、換金される可能性が高いようですが、どうなるのでしょうかね。

積極的無関心で実害がないときは、それでもよかったのでしょうが、日本企業に実害が発生すると、政府としても、外国における日本企業の保護のため、動かざるを得ませんよね。難しい隣人ほど厄介なものはありません。付き合わないわけには行きませんし、かといって、あまり親しくすると鬱陶しいし、「隣人との上手な付き合い方」って本がありそうですね。

余談はこのぐらいで、今年はじめての「読書雑感」です。

文庫本で600頁の長編小説です。「塾」という学校教育とは別の教育に携わる親子三代の物語です。戦後、戦前の軍国教育から民主教育に教育界は大変換し、「教育勅語」から「教育基本法」へと教育憲法が変わっていきました。それから、「学校教育と私塾のありかた」はさまざまな経過をたどったらしいです。

あるときは、「塾」は、学校教育の補完教育であったり、また、あるときは、受験戦争の火種であったり、そのつど、学校教育とのすみわけ、もしくは、文部省からの圧力などに晒されていたらしいです。

均等教育、詰め込み教育ゆとり教育、人格教育などなど、時代に応じて、子供の教育は、どうあるべきか、65年生きてきた中で、自分のこと、子供のことで、経験してきました、ぼくの子供の頃は、塾とは言わないで習い事、たとえば、お習字、そろばん、・・・よい家庭の子は、ピアノ、日本舞踊なんてもので、算数、国語を学校以外で勉強することはありませんでした。

ところが、ぼくの息子の時代には、「公文行くもん」とか「英語の個人レッスン」、果ては、「若松塾」「エディク」などの学習塾に行かないと、学校で仲間はずれにされるという、変な時代になっていました。地下鉄の駅前は、今でも、こういった学習塾が軒を連ねています。

この小説の最後には、シングルマザーなどの家庭の事情で、「塾」に行けずに、学校の勉強が遅れ気味の子供たちへの学習支援ボランティアの活動を「塾」の創始者の孫が始めるところで、戦後、60年の塾の物語は結末します。さらに、学校教育は太陽、塾は月(みかづき「クレセント」)、太陽と月が補完しながら、子供を育てていくという、筆者の理想とする事業も始まっていきます。

年末から年始にかけて、子供の教育について、考えさせられる大河小説でした。

HAPPY NEW YEAR

tetu-eng2019-01-03


あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

今年は、6時半ごろ覚醒したので、まずは、初日の出を拝みました。

次に、1月1日の恒例行事の初詣に行ってまいりました。「湊川神社」です。
今年は、息子が大晦日から車で出ていったので、地下鉄で出かけました。昨年より1時間ぐらい早く着いたので、昨年と比べると空いていました。昨年は、多くの参拝の人たちで、入場制限。神前に到着するまで、約40分かかりましたが、今年は、地下鉄の駅から15分ぐらいで神前に到着することができました。

『First, you need to bow twice.
Then, clap hands twice and bow deeply once again.
Throw coins into the offering box.』

Praying、約1分。
おみくじは、「小吉」。『難しきことは自ら行い 安きことは人に行わせる。』だったかな?どういう意味かな?


お天気が良かったので、モザイクでお昼を済ませて、いい正月を迎えました。

今年も、健康に気をつけて、「平々凡々」、「行雲流水」、をモットーに生かされていきましょう。

もう一つ、「日日是好日」これも、座右でしょう。座右ばかりですね。まあ、いいか!

それでは、皆様、今年も、良い年でありますように!!

「四人組がいた。」

tetu-eng2018-12-23

「四人組がいた。」
高村 薫
2018年11月10日第1刷
文春文庫

12月23日、早いものです。もう、今年も余すところ、あと1週間となりました。年賀状の宛名書きも書き終わり、すでに、投函しました。いよいよ、カウントダウンですね。

DO you have any plans for Christmas?
I don’t have any plans. But, I and families have a “Christmas cake.”

子供が小さいときには、クリスマスプレゼントに頭を悩ますのも、楽しみの一つでしたが、そんな悩みは、当の昔になくなりました。孫がいれば、それはそれで、また、楽しいかもしれませんが、孫もいないので、夫婦2人と一匹で「クリスマスケーキ」を食べるのが、我が家のクリスマス。一匹が、ケーキ大好きだからね!

『Not even the rain  And not even the wind  Will stop me』

のスピリットで、これからも生きて行こうと思っています。ただし、社会のお役に立つこともないのでは、なんとも、情けないとは思いますが、考えてみれば、今までの人生でも、とても、お役に立てたとは思えないので、「生きていれば もうけもの」ってことでしょう。

このところ心配なのは、世界景気が低調気味で、ダウ平均、東証一部平均は、下降の連続。債券相場も、よろしからず。東証一部平均は、2万円を切りそうで、2年前の相場に戻りそうです。こうなると、投資心理は、いよいよ冷え込み、負のスパイラルに陥るのですが、どうなることでしょう。鳴り物入りソフトバンクは、初値から下がりっ放し、手を出さなくてよかった。

どうも、今年の年末は、いい話がないね。みなさん、どうですか?

って、ことで、「四人組がいた。」という痛快なるユーモアー小説が、唯一、爽快なる雰囲気を残しました。奥深い山村、限界集落なんて、そんな生易しいものではない。そこの郵便局兼集会所に日々たむろする四人組。元村長、元助役、郵便局長そしてキクエ小母さん。ジジィとババァ。そして、山に棲む四足ども・・・タヌキ、いのしし、うさぎ、りすなどなど・・・

人間も四足も一緒になって、巻き起こすドンちゃん騒ぎ・・・こんな世界は、現実ではないことは、解っていますが、こんな世界があったら面白い。行き着くところは、閻魔さんと阿弥陀さままで、お出ましになってのブッラクコメディ。長寿社会は、地獄と極楽の大不況とは、よく言ったものです。

閻魔さま曰く

『「地獄に落ちる者が減ったということは早い話、冥銭が入らんということだし、この世もデフレで貧困世帯が増えているせいか、近ごろは冥銭をもたずにやってくる死者までおるのでな。ともあれそういうわけで、お恥ずかしい話だが、現状を言えば、赤字続きで焦熱地獄の釜の火も止めるほかなかったし、焦熱と大焦熱を合併縮小したり、等活地獄を廃止したりもしたのだが、現業のほうのリストラだけでは追いつかないので、いまでは書記官も自宅待機さあせておるありさまなのだ」』

阿弥陀さま曰く、

『「正直、善男善女しかいない浄土って退屈なのよね。救われた歓喜や幸福な安寧なんて、たまにしかないからありがたいんであってね、無量劫の時間の全部が喜びだけなんて、マジで地獄よ。喜怒哀楽のある地上世界って、ほんと最高。だから、たとえ生老病死があっても、やっぱり地上がいいというのがあたしの結論だけど、立場上、浄土に戻らないわけにもいかないし、」』

やれやれ、閻魔さまも、阿弥陀さまも、悩みが深いですね。

「手のひらの音符」

tetu-eng2018-12-15

「手のひらの音符」
藤岡 陽子
平成30年8月10日第8刷
新潮文庫

12月15日、早いものです。もう、今年も余すところ、あと半月となりました。年末は、寂しい。クリスマスは、もっと寂しい。年寄りにとっては、年が明けて、また、ひとつ年をとるのが嫌ですね。と、言っても、こればかりは、「時間よ、止まれ!」というわけにはなりません。

今日は、そんな「じぃじぃたちの忘年会」です。「Year−End Party」

「2018 is almost over. This year went by fast me.」
「The older I get、the faster time goes by.」
上記の英語を日本語に訳せ!なんちゃて!

そうそう、先週の土曜日も忘年会でした。そこで、事件がありました。ぼくは、死ぬかと思いました、というか、あとで考えるとですが・・・。テニスを3時間も楽しんで、テニスの仲間との忘年会。ビール・・・焼酎・・・ホッピー・・・ワイン・・・何が何だかわかりません。

正確には、忘年会のあと帰宅途中です。ぼくは、お酒は、あまり強くないのですが、この日は、なぜか気持ちよく、飲んでしまいました。ところが、歩いていて、突然、腰から砕けるように崩れ落ち、転んでしまいました。幸い、手のひらを擦りむいた程度でしたが、Sくんの助けがなければ、起きることはできませんでした。

もし、かりに、Sくんが居なかったら、ぼくは、そこで、起き上がれずに、凍死していたかもしれません。そこから、Sくんが家まで送ってくれました。ここまでは、覚えていますが、あとは、朧!あとは、おぼろ!記憶がありません。ぼくは、Sくんのお陰で、一命をとり止めたのです。

もう、酒は飲まない。でも、また・・・・。

「Do you drink?」
「Not really、but today is special.」

藤岡陽子さんの小説は初見です。巻末の解説によると、報知新聞のスポーツ記者、法律事務所の事務員、看護専門学校を卒業して看護師・・・そのとき小説を書き始めたとのこと。キャリア10年の作家さんです。

感想・・・一言。小説の構成、文章などなど、面白いと思います。場面の切り替えに、もう少し工夫がいると思いますが、直木賞を狙える作家さんに成長されることを期待します。泣かせる小説だと思いますが、やや、不十分かな?なんて、偉そうにね。

主人公は、服飾デザイナーの瀬尾水樹。独身、45歳。とつぜん、会社が服飾から撤退することとなります。物語は、ここから始まる。水樹には、幼馴染の3兄弟がいました。人生の変わり目に、その3兄弟との思い出が交錯します。
小説は、現在の水樹の転職の悩み、入院中の恩師との再会など、と、幼馴染の3兄弟との高校卒業までの思い出が、場面を交互に入れ替わりながら、いい感じのテンポで流れていきます。悲しい出来事、うれしい出来事、楽しい出来事・・・・そして今。水樹の新たな人生の出発は・・・・。

団地の中をゆっくり歩いていると、あの頃の自分たちのはしゃいだ声が懐かしく思い出される。もう何十年も聞いていない声なのに、記憶の中ではきちんと再現できる。大切な人たちだったのに、誰ともきちんとさよならをしていない。
人と人の繋がりは、出逢いの一点はいつも明確なのに別れの一点はたいてい曖昧で、後から思えば伝えたいことはたくさんあったのに最後にどんな言葉を交わしたのか、思い出せない。』

そうだね。でも、この年になると、生きているうちには、「もう、逢えないかも」、と、思うことがときどきある。

「日日是好日(にちにちこれこうじつ」

tetu-eng2018-12-09

日日是好日(にちにちこれこうじつ」
森下 典子
平成30年10月30日第31刷
新潮文庫

インフルエンザの予防接種。

昨年は、ワクチンが品薄とかいう話で、何箇所かの病院に問いかけて、結局は、家の近くの上田内科で接種することができました。でも、3月上旬に、インフルエンザが下火になった頃に罹患しましたが、熱は左程上がらず、軽くて済みました。

今年も、シーズンイン前に上田内科に行って予防接種。ところが、驚き!支払いのとき、「はい、1500です。」「えっ、4000円じゃないの!」「もう、65歳になりましたよね。」「はい!」「65歳からは1500円です。」「へぇ!そうなんだ!」そのとき、ぼくは、うれしいような、寂しいような、複雑な心境になりました。

そいえば、肺炎ブドウ球菌の予防接種のはがきが来ていたことを思い出したので、窓口で聞くと、「はい、1週間前に予約をしてください。今日、インフルエンザの予防接種をやってので、最低、1週間は間隔をあけないといけません。」「はぁ!そうなんだ。それでは、また、予約して伺います。」

やれやれ、65歳になって、急に、「高齢者」という「WORD」を意識してしまいました。ぼくは、何にも変わっていないのに、65歳という年齢を境に社会は、ぼくに「高齢者」というレッテルをつけあした。一方、労働力確保のため70歳までの雇用促進という動きもあります。まあ、それに達するには、遅くとも10年ぐらいかかるのでしょうが・・・。それまで、日本の社会構造は、維持できるのでしょうか?

ぼくは、すでに「高齢者」として、社会から一線を画された身なので、偉そうな事はいえませんが・・・。

そう、「「日日是好日(にちにちこれこうじつ」。

「高齢者」たるぼくは、この諺をモットーに生きていかねばなりません。晴れの日も、好日。雨の日も、好日。毎日が、どんな日であっても、「好い日」なのです。

樹木希林が主演の映画、秋に公開されたらしいです。樹木希林さんが亡くなって、彼女の生き様が脚光を浴びていました。ぼくも、テレビ番組で彼女のドキュメントを何本か観ました。ほんとうに、気負うこともなく、一本の筋の通った生き方をされた女性であることを知りました。とくに、彼女の手紙がいいですね。「漱石山房」の原稿用紙に万年筆で書かれた気取りのない文章は、書簡集として出版されてもいいんじゃないでしょうか。

ぼくも、手紙を書くことは好きなのですが・・・父母が健在のときは、毎週、手紙、はがきを書いていました・・・電話があるのにね。

そうそう、この本、副題が「「お茶」が教えてくれた15のしあわせ」です。「お茶」の指南書というほどではありませんが、「お茶」の勉強になりますね。こういう本を読むと「お茶」をやってみたいと思うのです。感化されやすいぼくは・・・ね。

『過去や未来を思う限り、安心して生きることはできない。道は一つしかない。今を味わうことだ。過去も未来もなく、ただ一瞬に没頭できた時、人間は自分がさえぎるもののない自由の中で生きていることに気づくのだ・・・・。』

うむ、まさに「禅」の道にも通じるものがあります。ちなみに、ぼくは、毎週、龍象院へ坐禅に通っています。

『雨の日は、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には、暑さを、冬には、身の切れるような寒さを味わう。・・・・どんな日も、その日を思う存分味わう。
お茶とは、そういう「生き方」なのだ。』