「恭一郎と七人の叔母」

「恭一郎と七人の叔母」
小路 幸也
2019年2月15日初刷発行
徳間文庫

f:id:tetu-eng:20190331135229j:plain

4月1日に新元号が発表されるらしい。いま、マスコミは、いろんな関係先に取材をかけて、新元号を他社より早く報道しようと躍起になっていることでしょう。どうせ、遅かれ早かれ、4月1日には官房長官から発表されるのだから、そんなに躍起にならなくてもいいとは思いますが・・・・。マスコミの性と言ってしまえば、申し訳ないかも。

あと、一月ほど生きながらえたら、昭和、平成、○○と三世代を生き抜いたことになります。最近のテレビ番組は、冬のドラマも終わって、「平成の時代」をテーマにした特番だらけです。考えてみたら、サラリーマン生活40年のうち、30年間が平成だったということです。稟議書を作成するとき、必ず、平成○年と書いていましたが、・・・そうそう、平成の初めは、まだ、手書きでしたが、今は、パソコンですね。

ぼくは、たぶん6月末で退任なので、平成の最後の年で、○○の最初の年に、サラリーマン生活に終止符を打つことになります。それがどうしたと言ってしまえば、そうなんですが、後年、振り返るときには、なにかと都合がいいかもしれません。

テレビ番組的な話をすれば、平成の最初の年、昭和天皇崩御されたとき(テレビのアナウンサーなどで亡くなった時という表現をする人がいますが・・・・?)。半旗を掲げるために、日の丸が売り切れになって困ったことがありました。なおかつ、旗ざおの上についている竿球(カンキュウ)を黒い布で覆い隠し、さらに、竿球の根元に黒いリボンをつける旨、総理府からお達しがあり、細君に頼んで、黒い布と黒いリボンを我が家で用意した記憶があります。今回は、ご退位とご即位なので、普通に日の丸を掲揚すればいいのでしょう。

来週は、新元号が公表さているので、新元号の余談は、次回に続く・・・と言うことで、久しぶりに小路さんの作品です。なんども書いていますが、小路さん「東京バンドワゴン」シリーズは、まだまだ、続いていますね。もう、10巻は超えているんじゃないでしょうか?小路さんの家族をテーマにした小説は、ほんのりとした独特の味があるので好きなジャンルのひとつです。今回の小説の切り口は少し変わっていますが、やはり、家族小説なのでしょう。

『更屋恭一郎には七人の叔母がいる。
その七人の叔母たちの、母を含めて八人姉妹の微妙な関係性にふと気づいたのは、恭一郎が中学一年生のお正月だ。いつもの年と同じように家を出た叔母も家族を引き連れてやってきて、賑やかな元日の夜の食事が始まった頃に、気づいた。』

 更屋恭一郎の母は、八人姉妹の長女。早くに、夫を亡くし、恭一郎は、祖父の営む造園業の実家で生まれた。そこには、母の妹・・・7人の叔母がいた。恭一郎は、それぞれ個性あふれる七人の叔母に・・・いわば、育てられた。小説の構成は、その七人の叔母のエピソードの連作です。母から始まって八女まで、順番に紹介されています。

『更屋家の八人姉妹であり、つまり母親のさき子以外は、恭一郎の七人の叔母だ。
それぞれに、それぞれの意味で個性的な人生を歩んできた。いや、歩んでいる叔母に囲まれて、そして皆に愛されて可愛がられて更屋恭一郎は育ってきた。』

 甥の恭一郎が、語る七人の叔母たちとの思い出、エピソードは、小路さんの持ち前の作風によって、明るく、楽しく、ユーモアたっぷりに描かれています。「東京バンドワゴン」のシチュエーションの変更版みたいですかね。小路さんの小説は、ちょっと休憩できる読み物です。

ぶらり、丹東シルク温泉

ぶらり、丹東シルク温泉

「とろりとしたお湯で シルクのような なめらか艶肌へ」
春分の日」は、朝から雨。温泉でも行くかとの会話。細君が、行きつけの「白雲台ユピカ」で聞きつけたシルク温泉へ。それにしても、女という生き物は、どこでも気軽にコミュニケーションが取れるものだと・・・感心します。男湯では、こんなことはありません。みんな難しい顔をして瞑想しながら湯船につかっているが、女湯は、情報交換の場になっているのです。

神戸西から山陽自動車道、中国自動車道舞鶴若狭自動車道を経て、福知山まで、そこから「丹東シルク温泉」まで、現道を40分ぐらい。自宅から約2時間のドライブです。そんなに大きな温泉ではありませんが、なかなか雰囲気は良好。お昼を済ませて、早速、入浴。

f:id:tetu-eng:20190321140611j:plain

内湯に浸かって、ビックリ。お湯が「とろり」と肌に感じます。最初は、あまりの滑り感に驚きますが、やがて慣れてきます。こんなお湯は、初めての経験です。露天風呂には、源泉があり、有馬温泉のような金泉です。ぬるめの湯なので、ついつい長湯をしてしまいます。休憩の座敷は、木組みの高い天井で、これもイイ感じ。満足のいく日帰り温泉です。でも、往復4時間は、ちょっと、疲れます。特に、帰りは、睡魔との戦いでした。お風呂は、カメラ禁止。HPを見てください。

f:id:tetu-eng:20190321133711j:plain

この日の前日、仕事がひと段落したので、また、また、明石に飲みに出かけました。もちろん、魚棚です。先月、行ったお店は「お休み」だったので、同じ通りの居酒屋です。魚は、昼網の「鯛、ヒラメ、タコ」。

f:id:tetu-eng:20190320180717j:plain

お酒は、明石の地酒「来楽」です。蔵元は、魚住の茨木酒造らしいです。

f:id:tetu-eng:20190320203626j:plain

もう、時代は、三宮、元町ではなく、明石です。なんと言っても、コスパが最高です。

「あの家に暮らす四人の女」

「あの家に暮らす四人の女」
 三浦 しをん
 2018年9月15日7刷発行
 中公文庫

f:id:tetu-eng:20190317135231j:plain

すっかり、春めいたと思えば、また、冷たい風が吹き、「春に三日の晴れはなし」とは「気象ことわざ」らしいです。今年は、花粉のとびが遅いのか早いのか?多いいのか普通なのか?やたらと、目が「かゆい!」のです。目薬は、「ヒアレイン」という涙由来のものを使用して、目を洗い流すのがいいらしい・・・ということで、それを実行していますが、いいみたいです。

それよりも、最近、ぼくを悩ましているが、「口内炎」です。口内の奥の方、ほぼ喉の入り口に「ポッチ」となにかできて、「プヨプヨ」になって、そのうち、なくなって、また、できる。その繰り返しです。都合が良いのか悪いのか、お医者さんに診てもらうときには、なくなっちゃうのですよ。

先週、肺炎ブドウ球菌予防接種に内科に行ったとき。「どこか、気になることある?」「えっ、口内炎ができてるみたい」「ふむ、口内炎があっても、予防接種はできるけどね。どれどれ」 あ~ん!「うむ、どこ?」「口の奥!」「ないね~」「えっ、そうですか?」「気になるようだと、耳鼻科に行きなさい。」「予防接種しとくよ!」「はい。」

今週、花粉症の薬を貰いに耳鼻科に行ったとき。「口内炎ができてるみたい」「どれどれ!どこ?」「口の奥・・・のどの入り口」「うむ、ないよ!」「えっ!ポッチとあるでしょう」「「もっと、あ~んして!」あ~ん!ゲボゲボ!「ないね!口内炎じゃないよ」「がんでもないけどね」周りの看護婦さんクスクス。どうも、堀ちえみさんの病気の告白依頼・・・この手の患者さんが多いいみたいです。「まあ、異常はないから。大丈夫だよ。」「あふぃがちょうごぜいまちゅ!」「じゃ、花粉症の薬。今年は、これで終りかな!」

ということで、悩みの種の「口内炎」は、「口内炎」ではなく、もちろん、「がん」でもなく・・・・・それじゃ、このポッチはなんなの?まあ、口内の肌荒れみたいなものかな?口内の傷は、いつも、すぐに治るのですが・・・嫌な言葉ですが、「華麗」じゃなくて「加齢」

ぼくの好きな作家の一人。「三浦しをん」久しぶりです。

「四人の女」 アラフォーの刺繍作家の佐知、お嬢さん育ちの母親・鶴代、同じ年の佐知の友人雪乃、そして、雪乃の会社の同僚で佐知の刺繍教室の生徒の多恵美(キャピキャピの二十代)の四人が一緒に暮らす杉並の古びた洋館での物語。

細雪」の登場人物、鶴子(長女)、幸子(次女)、雪子(三女)、妙子(四女)と微妙に似ているのは作為的か?って、作為的なのですが、そこが面白い。

『「ねぇ、気づいている?」
「私たち「細雪」出てくる四姉妹と同じ名前なんだよ」
それはたいてい、晩に四人がリビングに集っているときだ。鶴代はいもけんぴんをつまみながらテレビドラマを鑑賞し、雪乃はストレッチと称してパジャマ姿で案山子のようなポーズを取り、風呂上りの多恵美はパンツ一丁で脛毛を抜く。ダイニングテーブルで刺繍のデザイン案を描いていた佐知は、そんな姿を見てため息をつく。』

この四人ののんびりした暮らしの中で、二つの事件が起こる。一つは、多恵美の元彼のストーカー事件。もう一つは、土砂降りの雨の夜中に侵入してきた強盗事件。でも、この小説の主役は、カラスだったのです。というより、カラスの力で黄泉の世界から引き戻された佐知の父親の魂だったとはビックリです。

『きみたちは見守られている。私は、すでにこの世にはいない多くのものに。知らないだろう。それでいい。きみたちは生きているのだから。』

 ぼくは、生きているのだから。そして、亡くなった父や母、おじいちゃん、おばあちゃん、ぼくを知る人たちに見守られている。だから、口内炎なんてへっちゃらだ!!!

「1R1分34秒」

「1R1分34秒」
 町屋 良平
 文藝春秋3月号

f:id:tetu-eng:20190310150138j:plain

第160回芥川賞に選ばれた2作品のうち、先週、「ニムロッド」を紹介しました。今週は、「1R1分34秒」です。最近、2作品の選定が多いかな?と、思って調べてみたら、過去10年間で6回もありました。上期と下期と年2回あるので、20回のうち6回なので3割。ついでに、その前の10年を調べてみると、4回、さらに、ついでに、その前の10年を調べてみると、6回。ということで、2作品受賞は珍しいことではないということが解りました。

人の感覚というものは、このように当てにならないものです。したがって、「統計」というものは、客観的に数字化できるので、万人が納得できるエビデンスです。いわば、民主主義の根幹をなすものといえると思います。遠まわしに話が進みましたが、「勤労者統計月報」などの国の基幹統計の信用性が問題になっています。

そもそも、「統計方法の報告に改ざんはあったが、意図的ではない。」なんて、国会答弁がおかしい。なんと、弁解しようと、統計に不備があったことは否めない。統計・・・会社の決算も同じ・・・は、同じ手法で実施しないと、数値の変化を認識することができない。途中で、手法を変えてしまうと統計の継続性が失われてしまいます。企業会計原則にも重要な原則として、継続性の原則があるのは周知のことです。

ところが、役所では、統計部門は、いわば閑職であることが多いいという一面があります。やはり、花形は政策部門であり、許認可部門で、統計部門は人気がないというのが「ほんと」らしいです。その風潮は、やがて、チェック機能の働かない部門となっていきます。それは、国会でも同じです。決算委員会なんて、だれも希望しない。しかし、企業では、決算が経営者の成績表であり、その部門は重要なポジションです。

国の会計が、予算主義から決算主義に変わっていくとき、「統計」も為政者の成績表であることが、再認識されるのではないでしょうか?

芥川賞から脱線してしまいました。いつものことですが・・・?

「1R1分34秒」のタイトルから、これは、ボクサーがモデルであることは、推測のとおりです。4回戦ボーイの「ぼく」は、初戦KOで華々しく勝ってから、二敗一分けと負け込んでいる。今日の相手は、「青志くん」。しかし、3RでKO負け。この敗戦を引きずりながら、ボクシングのトレーニングを重ねます。

『「おまえは死力を尽くしたか?」
「最後の最後までいっこのボクサーを遂げたのか?」
「さいごのダウンで、おまえはほんとうに立てなかったのか?ほんとうには立てたんじゃないか?」
「奇跡の大逆転は、ほんとうにありえない未来だったのか?」』

5戦目に向けてトレーナーが交代。新しいトレーナーの「ウメキチ」の指導を受けながら、反発しながら、つねに、心の葛藤に向き合いつつ、トレーニングを続けます。

ついに、試合相手の「心くん」が決まり、5回戦へのカウントダウン。減量が始まりました。ボクサーとしての最大の難関。「ぼく」は苦しみます。その苦悩が、とんでもないリアルに描写されています。

「ニムロッド」と「1R1分34秒」は、ともに読ませる小説でした。ただし、ぼくは、「1R1分34秒」をお薦めします。

「ニムロッド」

「ニムロッド」
上田 岳弘
文藝春秋3月号掲載

f:id:tetu-eng:20190303155444j:plain

「ニムロッド」の意味・・・旧約聖書の登場人物、詳細に説明すると長くなるので省略。もうひとつ、イギリス空軍の対潜哨戒機の名前。

『駄目な飛行機コレクション NO.8
BAE ニムロッド AEW.3
1976年に始まったイギリス空軍のニムロッドを早期警戒機(AEW)にするプロジェクト。機首と尾部に大型レーダーを搭載し、周囲の警戒を行う仕組みであったが、開発費用の面よりアメリカ製ボーイングE―3早期警戒管制機の導入が決定され、AEW.3は失敗作となった。』

 

と、途中で余談ですが、

今週、会社のレクレーションの流れで、友人のTさんのバイオリン独奏会を企画・開催。Tさん、4歳からバイオリンを習っていたとのこと。鼻をたらして、袖にこすりつけていた、ぼくたちの世代で、バイオリンを習っていたって、「どんだけ~」。でも、結婚して30年間のブランクがあり、退職を機会に、また、個人レッスンを始めたとのこと。

どんなパフォーマンスなのか・・・内心、興味津々でしたが・・・映画音楽をメインとして12~3曲を暗譜で弾ききったのには、「ビックリ!」でした。さすがに、独奏会を引き受けただけはあります。「芸は身をたすける」といいますが、なにか、ひとつ、こういった特技があると第二の人生が豊かになるような気がします。

ぼくも、極めて庶民的なウクレレを趣味にしていますが、暗譜ができないのですね。Tさんに尋ねてみたら、「集中的に100回は弾かないと、暗譜はできなよ!」とのこと。やはり、そうなのだ。音楽・楽器も、才能は必要かもしれませんが、努力することが一番、必要なことなのだと・・・この歳になって、あらためて認識しました。

そこで、最近、ウクレレのソロ弾きの動画を、フェイスブックにアップすることにチャレンジしています。2~3週間ぐらいで1曲を仕上げてアップしたいな、と思っています。このチャレンジにより、動画でソロ弾きの音をチェックできること、1曲を弾ききって仕上げること、などで技量をアップできるのではないかと期待しています。興味があれば、フェイスブックで、ぼくの拙いウクレレ演奏を聴いてみて下さい。

と、余談はこのぐらいにして、「ニムロッド」です。
今年の第160回芥川賞の受賞作品です。今回は2作品が選ばれています。
この小説の登場人物はシンプル。主人公は、SEの中本哲史。彼の同僚のニムロッドこと、荷室。そして、彼の彼女のキャリアウーマンの田久保。の3人がメインキャスト。
あらすじは、ビットコインの採掘を任された中本・・・仮想通貨の仕組みが縷々説明されているが、さっぱり理解できない・・・その同僚から、「駄目な飛行機」のメールが度々送られてきます。その実態は、荷室は小説家志望。そこに、仕事に疲れた田久保が、中本に癒しを求めます。


『高い塔みたいに価値を積み上げる僕の新しい通貨。いつか雲を突き抜けてその塔が高くそびえたならば、その最小単位が顔を出す。nimrod‘塔の上に最後に残った人間、人間の王。
 僕は上空を向いたまま自分の思い付きにしばしとらわれる。それからふと我に返ると、飛行機の影はすっかりなくなっていた。』

「駄目な飛行機」「仮想通貨の採掘」など、駄目な人間だから、塔のてっぺんから太陽を目指す。「努力」という言葉を使わずに、積み上げていく「何か?」を追い求めているのではないか?そんな「クサイ」メッセージかな?いやちがう!アイロニーなのだ。すべてが虚無ということ。

「ジーヴスの事件簿 大胆不敵の巻」

ジーヴスの事件簿 大胆不敵の巻」
P・G・ウッドハウス
2018年11月30日第11刷
文春文庫

さて、今週は、まじめに「読書雑感」を書きます。「読書雑感」が面白くない人は、読み飛ばしてください。ただし、後悔するかもしれません。

f:id:tetu-eng:20190224143144j:plain

ジーヴスの事件簿 才智縦横の巻」「ジーヴスの事件簿 大胆不敵の巻」と、2冊を連続して読みました。この本は、前回も書きましたが、皇后陛下のご愛蔵の本らしいです。そういった記事が、今月の文藝春秋に掲載されていました。なぜ、この本を皇后陛下が好まれたのか・・・その理由を、読了後のぼくは、???、理解できませんでした。

か、と言って、面白くなかったという意味ではありません。ひょっとしたら、皇后陛下は訳本ではなく、原文で読まれたのかもしれません。どうしても、小説は、原文と訳本では、細かい描写などに差があるのは致し方ないことだと思います。ぼくは、残念ながら、原文で読むほどの英語力がないので、世界一翻訳技術の発達した日本語訳で読みましたが・・・。

余談ですが、日本人が中高大と6年~8年ぐらい英語を勉強して、語学力が育たない一番の原因は、明治以降の翻訳技術の高さらしいです。わざわざ、原文で読まなくても、あらゆる外国図書(専門書を含めて)が高度な翻訳技術で和文となっているからしいです。まあ、これは、語学力がない人間のいい訳かもしれませんが・・・・。

話を元に戻します。

時代背景は、20世紀初頭のロンドン。ヨーロッパ列強の植民地政策にかげりが見え始め、やがて第二次世界大戦(1915年~)、世界恐慌(1930年)へと歴史は流れていく、ちょうど、その前ぐらいのイギリスのロンドンが舞台。

登場人物は、イギリスの独身の青年貴族バーティと彼を取り巻く貴族の親戚、友人、そして、彼の極めて有能な執事ジーヴス。

物語は、主人公バーティの周辺で巻き起こる事件・・・いわゆる殺人事件などではなく、家庭内トラブルや友人ビンゴの恋愛トラブルなど・・・を、有能なる執事ジーヴスが、見事に解決するという連続短編のユーモア小説。

『で、ジーヴスのことなんだが・・・うちの従僕のジーヴスさ・・・僕らの関係は、どう言ったものだろう?僕がやつに頼りすぎだと思っている人間は多い。それどころかアガサ叔母なんぞは、ジーヴスのことを僕の飼い主とまで言った。でも、僕に言わせれば「それで何が悪い?」さ。あの男は天才だ。首から上の働きにかけては、誰一人かなうものはない。ジーヴスが来て一週間もたたないうちに、僕は自分のことを自分で処理するのをやめてしまった。』

 これほどに信頼のおける従僕なんて素晴らしいと思いますが、逆に言うと、ここまで信頼をする主人もなかなかのものです。しかし、小説では、主人公バーティは、ジーヴスを頼らずに自分でアレコレ解決しようとしますが、うまくいかずに泥沼に入って、結局、ジーヴスのお世話になるというのが、お決まりのストーリーなのです。

それにしても、この時代の英国貴族の生活は、仕事もしないで、お茶とパーティと競馬、ときには、テニス、ゴルフなどの遊び三昧だったようですが、これでは、やがて、やってくる帝国主義の崩壊は、必然的な時代の流れなだったのでしょう。

「ジーヴスの事件簿 才智縦横の巻」

ジーヴスの事件簿 才智縦横の巻」
P・G・ウッドハウス
2018年11月5日第10刷
文春文庫

週末からの副鼻腔炎のため、テニスを休み、パリのスターバックスで買ったマグカップに、小川珈琲のドリップコーヒーをいれて、ダバ♪ダー(^^♪
今週のビックリ!

f:id:tetu-eng:20190217093832j:plain


池江璃花子さんの白血病。昨年のアジア大会での大活躍は記憶に新しい。まだ、18歳とのこと。東京オリンピックでの活躍が期待されたアスリートですが、ご本人の思いは余人では計り知れないものがあるでしょう。つきなみですが、とにかく、療養に専念されて、元気になられることを祈念しています。

それにつけても、ぼくは、マスコミの報道には不快感を覚えます。某大臣の言葉足らずの発言を取り上げて非難しても詮無いことです。むしろ、そういった騒ぎ方をすることが、ご本人には、不快なことだと思います。とにかく、最近のマスコミは、言葉を切り取って、やり玉に挙げる報道が多すぎます。

もうひとつ、幼児虐待の問題も、学校や児童相談所にも不手際があったかもしれませんが、ほんとうに悪いのは、虐待をしていた親です。むしろ、なぜ、この親が虐待をしたのか・・・これが、根本的な問題です。そのことに言及する報道が見受けられないのは、なぜなのでしょうか?

もっと、こんな酷いことをやっていた親は、許せない。こんなことをしていけないんだ!という虐待抑止のための報道をするべきではないでしょうか。・・・と、思うわけです。たぶん、あまりにも酷すぎて報道に耐えられないのかも?こんな親を育てたのは、誰なの?

とにかく、ぼくの育てられ方が決していいとは思いませんが、少なくとも、ぼくは、人殺しはやっていません。当たり前ですが。ぼくの親は、大正・昭和初期の生まれでした。少し、過激かもしれませんが、「子供は牛馬と同じ」・・・悪い行いは体で覚えさせるという考え方でした。そんなことをこの時代に言ったら、大変なことになるかもしれませんが、ある意味、真理だと思います。

だいたい、教育評論家なる輩が、心地よい教育論をふりまいていますが、その結果が、今の時代のDVの多発とは思いませんか?たとえば、「坂の上の雲」「世に棲む日々」などの司馬遼太郎の小説を読んで、幕末・明治の教育について、感銘を覚えた方は多いと思います。

たとえば、吉田松陰の師である玉木文之進は、論語素読中に幼少の松蔭の頬にハエが止まったため、松蔭がそのハエを追い払ったことに対し、その行為は私情であると怒ったそうです。ちょっと違うかもしれませんが、子供を育てるのは公です。でも、子供を虐待するのは私情です。

あれ?いかん!いかん!話がどんどん寄れてしまった。

P・G・ウッドハウス・・・翻訳本を読むのは久しぶりですが、皇后陛下もご愛蔵の一冊だそうです。誌面がなくなったので、読書雑感は、来週、「ジーヴスの事件簿 大胆不敵の巻」を読了後にします。

なお、いま、併行して読んでいるのが、「極夜行」(ノンフィクション本屋大賞受賞作)、「ニムロッド」(2019年芥川賞受賞作)、「お金の整理学」(外山滋比古)。なんと、4冊の同時進行状態。頭の中は、ごちゃごちゃ。「執事のシーブスが・・・株式投資でハラハラして・・・グリーランドの極夜行の冒険に出て・・・ビットコインを採掘している」何で、こんなことになったのか?反省中。