ぶらり、福知山

ぶらり、福知山

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福知山Y字路・・・なかなか、Y字路ってないものです。福知山は城下町なので、街路の区画整理ができており、ほぼ、碁盤の目のような区画です。そこで、きれいなY字路をみつけました。赤い屋根の祠があって、理想的な(?)Y字路です。

 

先週、五月晴れ(梅雨の合間の晴れ)に誘われて、福知山まで、出かけました。目的は、福知山の街探訪です・・・が、・・・・?

 

福知山は、二度目です。コロナ前に、シルク温泉の帰途、福知山城に寄りました。大河ドラマ麒麟が来る」の放映前。明智ブームの到来で、結構、観光客が来ていました。このとき、もう、夕方だったので、お城見物だけでした。

 

さて、前回は、舞鶴若狭自動車道を利用しましたが、急ぐ必要もないので、お得意の国道175号線をひた走りです。三木・小野・加東・西脇・丹波兵庫県播磨の各市を縦断。そして、いままでは、ここまででした。

 

いよいよ、175号線の未知の世界・・・に進入。気がつけば、福知山は、京都府でした。あっ、緊急事態宣言中、府県をまたぐ移動はご法度です。時すでに遅し、府県境を通過して、福知山の市街地に進出しました。

 

あとは、宮津へ進出すれば、若狭湾に落っこちます。このチャレンジは、緊急事態宣言が明けてからにしたいと思います。

 

さて、福知山の市街地に入ると、もうそこに、福知山城が見えます。福知山城の観光駐車場(無料)に車を止めて、福知山の街探訪スタート。

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と、いきなり、福知山城は、緊急事態宣言中につき、入城禁止。ありゃりゃ。数人の観光客が、入り口前で、戸惑っています。観光案内所も閉鎖されており、観光マップも入手不可。

 

仕方がないので、グーグールマップを頼りに、とりあえず、駅方面へ。えっ、村人、いや、街人がいません。商店街も、ほとんど、シャッターが下りています。えっ、えっ、今日は、日曜日だというのに??

 

どうも、そもそも、どちらの地方都市でも、見かける光景のようです。「地方から日本を元気に」という某政党の看板。いやいや、まず、地方でしょう、と、突っ込みたくなります。

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とりあえず、ブラブラしながら、明智ゆかりの「御霊神社」に参拝。頼山陽の「本能寺」の句碑を見つけました。

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そして、今回の最大の目的「鳥名子」・・・が~ん、お休み。

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「鳥名子」とは、「鴨すき」の名店。これが、目当てです。実は、昨年年末、「鴨すきセット」をお取り寄せしたほどの大好物。恵比寿にも、支店がるそうです。

 

ここまで、読んだ読者の皆様に絶対人に言ってはならない情報・・・この「「鴨すき」は絶品です。一人前三千円なり。是非、だまされたと思って、一度、ご賞味ください。だまされたと思ったら・・・陳謝。

 

やむを得ないので、空いていた焼肉屋さんで、「焼肉重」を注文、ランチは、鴨ではなく牛。

 

でも、帰途、氷上で、お気に入りの「cafe ふくむら」でチョコレートケーキと珈琲で3時のおやつ・・・やれやれ!

 

後日談・・・「鳥名子」のHPを調べてみると、本店はランチ営業をお休みでしたが、市内の柳町店はランチ営業していたことを発見。なんと。間の抜けたこと。

 

まあ、また、福知山に行く用事ができました。

「いのちの停車場」

「いのちの停車場」

南 杏子

幻冬舎文庫

令和3年4月10日初版

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西脇Y字路・・・何故、横尾忠則さんは「Y字路」に魅せられたのか?勝手な想像ですが、右に行くか、左に行くか。Y字路は人生の象徴ではないでしょうか?発見しました。ゴッホの「オヴェールの教会」もY字路ですね。

 

兵庫のY字路を募集しています。

 

さて、今週は、余談なしで、読書雑感です。

 

と、いうのは、今朝、「いのちの停車場」を読了しました。この感動を、ストレートにお伝えするためです。とにかく、泣きました。六章の短編連載ですが、ほぼ、毎章で泣きが入りました。

 

ぼくは、医療ものは、あまり好んで読みませんが、この作品、二つの理由で、チョイスしました。

 

その一、作者の南杏子さん、ちょっと、異色の作家。

 

NHK「あさイチ」のプレミアムトークにゲストで出演。徳島出身。日本女子大家政学部卒業後、出版社勤務を経て、夫の留学でイギリスに転居。帰国後、一念発起して、東海大学医学部に学士入学。終末期病院に勤務しながら、カルチャーセンターの小説教室で小説の執筆を勉強。すでに、幻冬舎から2冊を上梓。「いのちの停車場」は、三冊目。とのこと。

 

その二、吉永小百合主演映画の原作。医師役は、初めてとのこと。

 

76歳で、いまだ、若々しい、小百合さん。62歳の主人公の医師役です。122本目の映画出演。まさに、日本を代表する俳優です。

 

城北医科大学救急救命センター副センター長白石咲和子(62歳)。故郷の金沢に戻って、八十七歳で一人暮らしの父と同居、父の友人仙川が開業している「まほろば診療所」の訪問診療医師となります。

 

『救急医療の現場で身につけた技術があれば、何ということはない などと思っていた自分がひどく恥ずかしかった。

仙川は、くしゃとした笑顔になった。

「咲和ちゃんの腕はこれからうんと役に立つよ。ただもう、いいトシなんだし、疲れるのはしょうがないよ」

「はい、そうは言っても・・・・」

「不可抗力だよ。なにしろグローバルな気候変動のせいで、ヒラメやカレイといったカレイ科目の魚類は、2100年までに漁獲量が20%も減るというから」

「は?」

「専門家は、それを「カレイ減少」と呼ぶ」』

 と、コミカルな展開もあるが、在宅診療は、命との攻防戦。終末期を、病院ではなく在宅で、本人も家族も、いかに心静かに過ごすことができるか。その手助けをするのが訪問診療医師。

 

咲和子は、患者の家族に入念な教育を行います。教育とは、死のプロセスの説明、いわば「死のレクチャー」。

 

『「死は決して怖いものではありません。きょうはご主人に、お別れの際に見られる奥様の身体の変化や、今後の状態について詳しくお話しします。これからのこと・・・死を学ぶ授業と思ってください」』

 

「死のレクチャー」を受講したい方は、是非、この小説を読んでみてください。現役医師だけに、わかりやすく、丁寧に、説明しています。一方、訪問診療のかたわら、父の終末も近づいてきます。医師として娘として、肉親の最後に、どう向き合うか。

 

こりゃ、現在公開中の映画も、是非、見てみたいと思います。が、うむ、シアターで、おじいさんが、ボロボロ涙を流すのは、頂けませんね。でも、きっと、そうなります。

「ひと」

「ひと」

小野寺 史宜(ふみのり)

祥伝社文庫

令和3年4月20日初版

 

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 西脇Y字路・・・横尾忠則さんの代表作「Y字路シリーズ」のパクリ(言葉が悪い)、模写・・・模写にもなっていませんね。習字でいえば、「臨書」。芸術は、すべからく「模倣」から始まります。ちなみに、横尾忠則さんは、西脇のご出身です。

 

さて、いよいよ、高齢者へのワクチン接種が本格化してきました。ぼくは、来週後半か?再来週前半頃には、接種券が送られてくるようです。それから、主治医に電話予約するか?それ以外のクリニック、集団接種、大規模接種にネット予約するか?

 

ネット予約については、事前に予約サイトの利用者登録が必要とのこと。I沢さんからの情報提供。I沢さんは、ぼく等のIT担当さんです。早速、利用者登録をしました。マイナンバー、マイナポイント、地域振興券などなど、彼からの情報提供に助けられています。

 

これからも、よろしくお願いします。

 

まあ、ワクチンは、十分に用意されているみたいです。すでに、各自治体への配送は、順次、実施されており、そこから先の各クリニックなどの動きに、目詰まりがあるようです。なんだか、結局、日本の医療体制の脆弱性が露呈しているのかも。

 

慌てなくても、そのうちには、接種することができるでしょう。インタビューでは、早く、接種して安心してスポーツクラブに行きたい・・・なんて、言っているご老体がいますが、ちょっと、違うかもしれません。欲しがりません。集団免疫を取得するまでは!

 

またしても、余談が長くなりましたが、目下の最大の関心事ですからね。

 

小野寺史宜さんの小説を読んだのは、初めてです。最近、初見の作家さんが多くなりました。そろそろ、代替わりの頃合いですかね?

 

地元は、鳥取。高二のとき、父は、猫を避けようとして自損事故で亡くなった。大二のとき、母は、突然死で亡くなった。母が亡くなったとき、東京から帰郷して、どうにか葬儀は済ませた。

 

『僕は、柏木聖輔。二十歳にして、まったくの独りになった。どうあがいても、その状況は変わらない。とりあえず、生きていかなければならない。

そこで決断した。意外と迷わなかった。大学は中退した。これまで奨学金を受けなくてよかった。心からそう思った。その意味でも母に感謝した。

仕事を探すしかない。

高卒。二十歳。資格なし。』

 

腹を空かせて、住んでいる江東区の砂町銀座をフラフラしていて、総菜屋さんでアルバイト募集を見て、お世話になることとした。一人の秋、一人の冬、一人の春・・・と思っていた。総菜屋のオヤジさん、女将さん、同僚たちは、みんないい人ばかり。偶然、鳥取の同級生とも知り合った。それでも、誰にも、頼ろうとはしない。一人で、生きていこうと思った。

 

そして、夏は、もう一人ではない。

 

『「おれたちには頼れ」

十七歳のときに父が亡くなり、二十歳のときに母が亡くなった。悲しいことはもうすべて起きてしまった。この先泣くことはないだろうと思っていた。

ちがった。

二十一歳で、僕は早くも泣いた。悲しくなくても、涙は出る。』

 

父と同じ両人を目指して、聖輔は、歩み始める。青春感動小説。好きですね~。元気が出る小説です。また、新しい作家を発掘しました。次作を期待しています。

「晩節における「死」との対峙」(特別寄稿)

「晩節における「死」との対峙」(特別寄稿)

石原慎太郎

文藝春秋

令和3年6月号

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発見しました。

 

発見場所、いつも散歩している家の近くの公園。

 

発見時間、某日、朝6時15分。

 

いつものように、すたこらサッサと歩いて、ふと、目を逸らすと、見かけぬ白い花が咲いている中木(高さ2mぐらい)に気づきました。

 

さっそく、近づいて行って、よ~く、観察しましたが、植物に詳しくないので、すぐに、分かるわけはありません。そこで、「googleレンズ」でE検索・・・これって、とても便利です。すると、なんと、「タチバナ」がヒットしました。

 

さらに、仔細に観察。5弁の白い花、茎に長い棘あり。まちがいありません。ミカン科タチバナ種、日本古来の柑橘類のいわゆる「橘」の木であることを確信しました。

 

古事記には、その実は不老不死の霊薬であることが記されており、京都御所には、「左近の桜」「右近の橘」として植えられており、昨年、平安神宮に行った時も、本殿前には、「左近の桜」「右近の橘」が植えられていました。

 

その文様は、家紋としてもおおく使われ、文化勲章の図案も「タチバナ」らしいです。

 

やや、気になったのは、公園は子供たちの遊び場です。橘の木には、鋭い棘がありますが、子供が引っかけるとケガをする可能性があります。どこかに移植した方がいいかもしれませんね。

 

と、余談が、長くなりました。

 

久しぶりに、石原慎太郎さんの特別寄稿です。軽い脳梗塞に罹患されて、すっかり、見かける場面が少なくなりました。御年88歳とのことです。

 

それでも、筆致は衰えず、生意気なようですが、昔の石原慎太郎さんを彷彿させる文章です。今の若い作家さんには、なかなか、書けない文章だと思います。ただ、気になったのは、「即座」「無類」などの同じ単語が頻出していることかな?まあ、編集者が、チェックしているとは思いますが・・・?

 

傑物、石原慎太郎さん、そろそろ「死」を意識するのは、やむからぬ心理です。かく言う、若輩者のぼくでさえ、「死」にたいする意識は、ないといえば「嘘」になります。最近、「般若心経」「観音経」なぞを手元に置いているのは、その証左でしょう。

 

『私の将来にまざまざと存在する「死」という最後の未来、最後の未知なるものに怯え出来得ればその感触実感に人生の最後の経験として触れたいと願うがそれは所詮生者の奢りでしかありはしまい。

「死」については死んでみなくては分からなし、死が生者の知覚を失うものなら所詮死んでしまってはおいつくものでありはしない。』

 

「死」への予感は、肉体の衰弱がもたらすものであり、これを克服するには、老化を阻止する試みを反復する以外にはない。と、言い切ります。健康年齢を維持するために、日々精進して、「死」への予感を鈍化させることが、「死」に対峙する方策ということか?

 

『晩節において当然対峙を強いられる「死」という「最後の未知」に臆することなく自ら踏み込んで迎え撃つという姿勢こそが己を失うことなく「最後の未来」を迎えるに違いない。』

 

と、結んでいます。「太陽の季節」から今でも、石原節は、健在ですね。

「ブロードキャスト」

「ブロードキャスト」

湊 かなえ

角川文庫

令和3年1月25日初版

 

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大和の国一之宮 大神(おおみわ)神社 先月、大神神社をブラリと訪れたことは、このブログで書きました。もう一度、日本最古の神社の一つです。ご祭神は、大物主命。政(まつり)の神で、大国主命が、大物主命を祀ることにより、葦原の中つ国は、繁栄したとの古事記伝

※葦原の中つ国とは、高天原(天上)と黄泉の国(地下)の間の国。地上のこと。

 

ブロードキャスト(broadcast)動詞で、「放送する」、名詞で、「放送、放送番組」

湊かなえさん、ぼくの好きな作家さんの一人です。ご存知、広島県尾道市因島中庄の出身。武庫川女子大学卒。現在、兵庫県洲本市に在住。ラジオドラマの脚本で賞を取って、作家に、「告白」で本屋大賞を受賞。

 

今週は、余談なしで、「ブロードキャスト」に直球勝負。なぜなら、後半に、読み比べてもらいたい、面白いコーナーを用意したからです。

 

「ブロードキャスト」のあらすじ。主人公は、中学時代に陸上競技にうち込み、全国大会を目指した。高校でも、陸上競技を続けるつもりでいた。が、入学前に、交通事故で足を負傷、陸上競技を続けることが、難しくなった。

 

目標を失って入学した後、脚本家を志望する友人に「イケボ」(いけてるボイス)を買われて、放送部に入部。放送部は、放送ドラマ、ドキュメント、アナウンスなどの部門で全国高校放送コンテストに出場したこともある。

 

ところが、入部してすぐに、友人が書いた脚本の主役に抜擢されて、ラジオドラマに出演することとなった。

 

・・・・という青春小説ですが、ここからは、「ブロードキャスト」を読んでみては。

 

さて、面白いコーナーとは、小説とテレビドラマの脚本とラジオドラマの脚本の違いの・・・サンプル(番外編に収録されています)を紹介します。

 

オレンジジュースを飲んでいる描写・・・

小説では。

『午後三時、おやつ代わりというわけではないけれど、私は店の冷蔵庫からオレンジジュースの丸い小瓶を取り出し、宮本くんに差し出した。彼は汗をかいた瓶に目を遣ったものの、遠慮しているのか、手に取ろうとしない。しゃべり疲れて、喉が渇いているはずなのに。

「冷たいうちにどうぞ」

促すと、いただきます、と宮本くんはつぶやくように言い、瓶を手にしてゆっくりと口に運んだ。少しだけ飲む。想像以上においしかったか、それとも、早く体に水分とビタミンCを送れと脳が指令を出したのか、宮本くんは瓶を置かずに、残りのジュースを一息に口に含むと、ごくりと喉を大きく鳴らして飲み込んだ。鮮やかな太陽を凝縮したオレンジを、丸呑みするかのように。』

 

これをテレビドラマの脚本にすると、

『〇パン屋

  店の時計は午後三時を指している。

  椿、時計に目を遣り、冷蔵庫からオレンジジュースの丸い瓶を取り出す。

  宮本に差し出す。

椿「おやつにどうぞ」

  宮本、遠慮がちに瓶を見る。

  汗をかいている瓶。

  宮本、乾いた唾を飲み込む。

椿「しゃべり疲れたでしょう。冷たいうちに」

宮本「(つぶやくように)いただきます」

  宮本、ゆっくりと瓶を手に取って蓋を開け、一口飲む。

  おいしい、脳に沁みわたる、という表情。瓶を見る。

  太陽を連想させる、濃い色のオレンジジュース。

  宮本、一息で飲み干す。』

 

次に、ラジオドラマの脚本にすると、

『SE カランカランと、ドアが開閉する。

    柱時計が三回、鐘を鳴らす。

    ※SEとは、サウンドエフェクト、音響効果のこと

椿「三時か、おやつの時間ですね」

 SE 冷蔵庫を開閉する。

    木製のカウンターにコトリと小瓶を置く。

椿「うちの名物オレンジジュース、オレンジを丸呑みできそうなかわいい瓶でしょう?飲んでください」

宮本「あ、いや、でも・・・」

椿「中学生のくせに、遠慮しないで。たくさんしゃべった後だから、喉が渇いているでしょう?ほら、瓶も汗かいてる。キンキンに冷えているうちにどうぞ」

宮本「じゃあ・・・、いただきます」

 SE 瓶の蓋を開ける音。

    ゴクリと小さく一口飲む。

宮本「(思わず)うまっ!(つぶやく)なんだこれ。すっごい濃い、夏の太陽の塊みたいだ」

 SE ゴクゴクと飲む音。

宮本「プハー(おいしそうに息を吐く)」』

  

朝ドラの劇中、ラジオドラマ「お父さんはお人好し」(花菱アチャコ、浪花千枝子 昭和29年~昭和40年)の脚本も、こうして仕上がっているのですね。

 

「JR上野駅公園口」

「JR上野駅公園口」

柳(ゆう)美里(みり)

河出文庫

2021年1月20日20刷

  

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神戸地方裁判所は、神戸駅湊川神社の近くにあります。赤レンガ造りの建造物の上にガラス張りの近代建造物を継ぎ足した、ちょっと変わった造りです。二週間に一度ぐらい、三宮から歩いて元町商店街をブラブラ、裁判所の前を通過、そして、湊川神社をお詣り、「ふるもと珈琲店」で一休みします。

 

今年のGWも、ステイ・ホームです。と、言いながら、兵庫県内のアウトレットが休業しているので、滋賀県竜王アウトレットに行きました。兵庫県から大阪・京都を通過して、滋賀県まで。駐車場は、県外ナンバーがほとんど。

 

初めて来ましたが、三田より大きいかも?でも、テナントも、多いいかも?4月30日の平日だったことと、兵庫・大阪が緊急事態宣言中だったこと、から、お客さんは、まばらかな?でも、5月に入ったら、どうだろう。

 

アウトレットをブラブラするのは、GWなどの連休中のわが家のレジャーです。

 

今回は、ツヴィリングのハンドブレンダーが、50%OFFだったので、ゲット。このハンドブレンダーは、ミキサーといわゆるブレンダーを合体して、小型化したような優れもの。これで、キッチンの収納に余裕ができました。

 

あとは、大人しくステイ・ホーム。早速、ハンドブレンダーで、スムージやベジタブルスープを作って、楽しみましょう。

 

柳(ゆう)美里(みり)の小説を読むのは、どうも、初めてかもしれません。97年に「家族シネマ」で芥川賞を受賞していますが、うむ、読んだ記憶がない。

 

「JR上野駅公園口」の帯には、全米図書賞受賞!メディアで話題沸騰とありますが、こてこての社会派小説ですね。柳(ゆう)美里(みり)の小説が、すべて、このジャンルなのかどうかは、知りませんが、寝る前に読むには、ちょっと、おもい気がします。

『人生は、最初のページをめくったら、次のページがあって、次々めくっていくうちに、やがて最後のページに辿り着く一冊の本のようなものだと思っていたが、人生は本の中の物語とはまるで違っていた。文字が並び、ページに番号は振ってあっても、筋がない。終わりはあっても、終わらない。』

人生は、筋書きのないドラマとは、よく、言われるが、「終わりはあっても、終わらない」とは、どういう意味だろう?

 

主人公の男は、福島から東京に出稼ぎに出て、盆・暮れにしか、帰郷しない。両親、妻、二人の子供とは、そのときにしか会うことがない。そういう生活を40年間、続けてきた。

 

両親が亡くなり、やがて、還暦を迎え、福島に戻って、ゆっくり、老後の生活と思ったら、ようやく成年した息子が突然死、長年、苦労を共にした妻に先立たれる。孫娘が、同居して、見守ってくれていたが、当然、男は、故郷を捨てて、上野でホームレスとなる。

 

上野では、ときどき、山狩りがある。そのたびに、男は、上野を彷徨う。そして、福島の孫娘が、津波で行方不明となる。男は、JR上野駅を彷徨う。プラットホームが、ゆれている。

 

どうして、なにが、男に故郷を捨てさせたのか?

 

久しぶりの社会派小説だが、ぼくは、娯楽小説、青春小説、ラブコメなど夢がある小説が好き!

「D坂の殺人事件」

「D坂の殺人事件」

江戸川乱歩

創元推理文庫

1996年11月8日14版

 

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兵庫県姫路護国神社 護国神社は、国家のために殉死した英霊を祀るための神社。おおむね、各都道府県に1社ないし複数社あり、兵庫県は灘に、もう1社、神戸護国神社があります。姫路護国神社は、姫路城の中曲輪内にあり、姫路城は、すぐ近くです。

 

またしても、緊急事態宣言。ぼくのテニススクールは、インドアのため、兵庫県の要請により「多くの人が利用する屋内運動施設」ということで、休業要請に応じることとなりました。昨年に引き続き、宣言期間中は、テニスはお休みです。

 

ぼくがコロナ禍で、我慢していること。昨年から、大学図書館の利用、土曜日の午後の日帰り温泉、おおむね月1~2回の飲み会、宣言期間中のテニスなど。ステイ・ホームでの楽しみを、いろいろチャレンジしましたが、もうそろそろ、飽きてきましたね。

 

とにかく、細君以外のホモサピエンスとのコミュニケーションが、ほぼ、皆無の状態になっています。やはり、人間は、他者との交わりが必要でしょう。このままでは、ボケてしまいそうです。いくら、「本」が友達と言っても、「本」は、リアルに話しかけてはくれませんから・・・!

 

あ~、気心の知れた友人と、バカ話をして、大笑いがしたいね。そう、笑うことが必要なのです。一人で、声を出して笑うことも推奨されていますが、まあ、それも、毎日となると、空しくなってきます。ハァ、ハァ、ハァ~!ハ~~~ァ!

 

ということで、ぼくの友達の「本」の紹介です。

 

なぜ、江戸川乱歩か?先日、ぼくが、読者になっているブログに明智小五郎の紹介がありました。明智小五郎・・・ご存知ですよね。明智小五郎の初登場が、「D坂の殺人事件」なのです。

 

そこで、懐かしくなって、本箱を漁ってみると、ありましたよ。ぼくの本箱には、新刊本は、読むとすぐに、ヤフオクで売ってしまうので、ありませんが、古い本は、売り物にならないので鎮座しているのです。

 

もうちょっと、漁ってみたら、少年倶楽部文庫の「少年探偵団」と「怪人二十面相」もありました。パラフィン紙で包まれた古本ですね。子供の頃に、読んだ記憶はあるのですが、この本は、多分、古本屋で買って、そのままになったものだと思います。そのうち、読んでみようかな。

 

さて、短編推理小説の「D坂の殺人事件」ですが、・・・D坂とは、東京本郷の団子坂と言われています。大正14年頃の小説なので、現在とは、随分と、趣が変わっていたのでしょう。

 

D坂の古本屋さんの内儀が、何者かに殺害されます。その第一発見者が、「私」(小説の中の一人称)と明智小五郎です。そのころ、明智小五郎は、タバコ屋の2階に下宿している、いまでいう、フリーランス

 

現場は、まさに、人の侵入の形跡がなく、いわば密室状態。しかも、争った気配がない。ただし、被害者には、体中に、生傷があった。「私」の推理では、第一発見者の明智が犯人である・・・という、とんでもない勘違い。

『物質的な証拠なんてものは、解釈の仕方でどうにでもなるものですよ。いちばんいい探偵法は、心理的に人の心の奥底を見抜くことです』

さて、この事件の結末は、当時(大正時代)としては、衝撃的な内容だったと思います。ヒントは、「マルキ・ド・サド」です。