休日のつぶやき・・・キャバン・クラブ

休日のつぶやき・・・キャバン・クラブ

 

ちょっと、趣向を変えたブログになりました。お店紹介と言うわけではありませんが、なんとなく、「えっ、こんなところに、こんなお店が!!」ということです。

 

「Cavern Club」

 

神戸のナイトクラブではありません(あるかも?)。イギリス、リバプールのナイトクラブで、ビートルズも初期に演奏していたロックン・ロールの聖地らしいです。

 

日本でも、「キャバン・クラブ」という名前のライブハウス、ジャズ喫茶、クラブなどは、東京・大阪などの都市に、たくさんあるらしいです。みなさんも、行ったことがありますか?聞いたことがありますか?

 

今日、紹介するのは、昨日のランチに出かけた神戸の「Cavern Club」(軽食喫茶)です。

場所は、なんと・・・・西区・・・伊川谷町・・・有瀬 ・・・。神戸学院大学前です。

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外観は、イギリスの家屋風。中に入って、ビックリ。なんと、可愛らしいデコレーションです。入口から右側が、喫煙不可のドア。左側が喫煙可のドア。と、分煙対策は完璧。ぼくは、右側へ。Restroomは、左側。

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次に驚いたのは、壁一面、どっちもこっちも、ビートルズのパネル。そして、流れるバックミュージックは、もちろん、ビートルズ。エンドレスのビートルズです。

その壁を、ご覧あれ!

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ビートルズが、来日したのは1966年。ぼくが、中学校1年生の頃だと思います。ビートルズって何?カブトムシの集団?まったく、西洋音楽?の知識なし。

 

ところが、ビートルズを熱く語る同級生がいました。そのときは、何のことだか、サッパリ。ぼくのなかでは、若大将の加山雄三の方に興味がありました。歌も、「青い星屑」「夜空を仰いで」なんかの鼻歌でしたね。

 

だから、ビートルズに、特別な思いがあるわけではありませんが、なんとなく、ビートルズの雰囲気が、大人のお洒落なイメージなのでしょうか?ついつい、惹かれてしまうのです。

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で、ランチは、卵トロトロのオムライス。鶏肉などの具材もいっぱい入っており、しっかりしたオムライスでした。ぼくは、どちらかというと、昔ながらのオムライスの方がすきですが・・・。

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コーヒーは、これは、たぶん、美味しい。ロベルタバルディーニの食器もお洒落ですね。

 

ということで、こんなブログも、たまには、いいかも。

 

なお、お店は、火・水が定休です。おって、1985年創業・・・おおよそ40年になるそうです(チャーミングなウェイターさんより)。

「彼岸花が咲く島」(165回芥川賞受賞作)

彼岸花が咲く島」(165回芥川賞受賞作)

李 琴峰(り ことみ)

2021年9月号

文藝春秋

 

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須磨海岸 今年の夏も、海水浴はご法度。コロナが恨めしい夏休みは、もう、終わりです。来年は、水着姿で賑わうようになる・・なれる・・なろう。といっても、ぼくは、海で泳ぐ年齢は、とうに過ぎてしまいました。

 

今週は、余談なしで、読書雑感に入場します。なぜ?久しぶりに面白い芥川賞作品に出合ったからです。

 

それは、165回芥川賞受賞の2作目。「彼岸花が咲く島」

 

作者は、李琴峰(りことみ)さん。日本語を母国語としない芥川賞作家は、2人目だそうです。もう一人は、「時の滲む朝」の楊逸(ヤンイー)さん。在留中国人の女性です。

 

この時の直木賞井上荒野さんの「切羽へ」は、読んだ記憶があるのですが、「時の滲む朝」は記憶にありません。ブログの記録にもありません。なぜ?

 

まあ、過去のことはいいとして、李琴峰(りことみ)さんは、台湾の出身で、早稲田大学に留学。日本で就職して、日本で作家としてデビューしたそうです。これまでの作品も、すべて日本語での執筆とのことです。

 

『砂浜に倒れている少女は、炙られているようでもあり、炎の触手に囲われて大事に守られているようでもあった。』

 

少女は、島の海岸に打ち上げられていた。その海岸には、赤一面の彼岸花が咲き乱れていた。・・・なるほど、「炎の触手」とは、彼岸花の「毒々しく長い蕊」のことです。小説の書き出しです。

 

少女を見つけたのは、游娜(ヨナ)。少女は、ヨナと同じ年ぐらい。少女は、記憶を失っていたので、ヨナの家で、親の晴嵐(セラ)と看病する。そして、宇実(ウミ)と呼ばれるようになった。

 

もう、気づいていると思いますが、名前が妙です。そう、この小説のジャンルは、と問われれば、ファンタジー小説です。そして、青春・冒険小説です。と、ぼくは、思っています。

 

大海原にポツンと浮かぶこの島は、架空の島ですが、イメージは、沖縄などの南の島でしょう。言葉は、ちょっと変わった<ニホン語>、でも、公用語は、<女語>。

 

そう、島の指導者は、<ノロ>と呼ばれ、すべて女性です。なぜ、すべて女性かは、この島の歴史に意味がありますが、その歴史は、<ノロ>以外は、知ることはでません。

 

元気を回復したウミは、ヨナとヨナの友達の拓慈(タツ・男)と、この島での生活に慣れていきます。そして、やがて、ヨナとともに<ノロ>になることを目指します。

 

『「私は、ノロになる。そして<島>の歴史を継承する。」

ノロになって、<島>規則を変えるの。』

 

男社会の世界を逆転させて女社会という<島>、ファンタジーの枠の中で、ジェンダー問題だけではなく、もっと、「おおきなもの」を伝えようとしている。それはなにか?

 

おって、タイワンやチュウゴクなどとの交易の下りがあるのですが、これは、妙に、リアルさがでてきて、いまの政治情勢をにおわせているのは、残念だったと思います。

 

「貝に続く場所にて」(165回芥川賞受賞作)

「貝に続く場所にて」(165回芥川賞受賞作)

石沢麻依

2021年9月号

文藝春秋

  

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deepな横丁 「deepな横丁」は、どの街にもあったし、いまでも、名残りのある街は、多いいと思います。さて、このスケッチはどこでしょう。むかし、三宮にも、似たような横丁がありましたが、いまはありません。たしか、「どぶ板通り」と呼んでいたように記憶していますが?

 

 まあ、よく雨が降りますね。まるで、バケツをひっくり返したような激しい雨もありましたが、とにかく、長い間、お日様にお目にかかっていない気がします。

 

思い起こせば、9日(月)から毎日、毎日の雨天、曇天が続いて、水撒きアルバイトは中止、途中中止の連続、甲子園球児の気持ちが、少しは、理解できるような心持ち(比べようもないか?失礼!)です。

 

NHK大阪の潮見さん(気象予報士)は、「梅雨の出戻り」なんて、解説していましたが、梅雨ではなく、「向日葵雨」(何て読むかな?)ですね。自然も変化しているので、新しい概念が必要かも。

 

そうそう、バケツをひっくり返したような雨といいますが、「破雲雨」という用語もあるそうです。まさに、天や雲が破れて降る雨のこと。えっ、こういう用語があるのなら、こういった気象現象は、昔も、あったということでしょうか?

 

ついつい、余談が長くなりました。

 

さて、今期の芥川賞(165回)のご紹介です。とにかく、年に二回の純文学を読む機会です。今期は、二作ありますが、まず、「貝に続く場所にて」です。

 

作者の石沢さんは、仙台出身、ドイツ在住の西洋美術史を学んだ方だそうです。それだけに、西洋絵画に関する叙述が、多くあります。が、専門的すぎて、さっぱり、分かりませんでした。

 

物語は、一言でいえば、「幽玄の世界」。

 

舞台は、ドイツのゲッティンゲン(地図で見るとドイツ中央部の学研都市らしい。)で、作者自身が、ドイツ・ルネッサンス美術の研究で、ゲッティンゲン大学に留学していたそうです。

 

さて、「あらすじ」を、どう説明したものか?

 

まずは、私(里美)が、野宮(実は、幽霊)を駅に出迎えて、バス停まで送っていく・・ここから、もう、不思議。野宮は、3年前の2011年3月11日に海にさらわれて行方不明になった(私の研究室の同僚)。

 

そこから、過去と現在の行き来が始まり、ゲッティンゲンにある惑星のブロンズ板を巡って、不思議な現象が起こります。撤去したはずの冥王星(惑星ではなくなった)のブロンズ板が現れるなど。トリュフ犬が、街に埋もれた物を発掘するなど。なんとなく、2011年の漂流物とつながります。

 

突然、寺田氏が現れる(寺田寅彦のこと)。夏目漱石へのハガキ(「ゲッティンゲンから」)の思い出。漱石の「夢十夜」からの連想。もう、何が?何だか分らない?

 

それでも、なんとなく、ゲッティンゲンの街を舞台に、死者、生者、不明者、生存者、過去、現在、入り乱れて、幻想的な世界観を醸し出している。これぞ、純文学。

 

読了後、ぼくの頭に残ったのは、「夢十夜」、寅彦の随筆、ゲッティンゲンという街の名前、そして、忘れてはならない2011年。

 

「本と鍵の季節」

「本と鍵の季節」

米澤穂信

2021年6月25日第1刷発行

集英社文庫

  

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木馬 神戸は、ジャズの街。「木馬」は、元町駅からトアロードの坂を県庁方面に行くと、道沿いに看板が見えます。

看板には、ジャズ喫茶とありますが、「木馬ベーカリー」の看板も。「えっ?パン屋さん」広くない店ですが、バックミュージックは、ジャズナンバー。雰囲気は、悪くはありません・・・が、四人組のご婦人のランチ会とバッティング。

それでも、オードリー・ヘップバーンのパネルを眺めながら、1時間ばかり、レコード聴きながら、読書。

  

やれやれ、またまた、コロナウイルスの第5波が襲来か?招来か?兵庫県も、緊急事態宣言を要請するらしい。不要不急の外出、帰省などは、自粛の要請。お盆のお墓参りは、2年連続中止。

 

折角、ワクチンの接種が、完了して、2週間経過したので、抗体はバッチリのはず。今年は、暑気払いも墓参りも、解禁かと、思っていたのですが・・・・。

 

自宅で、ご先祖様のフォトグラフに「般若心経」を唱えています。何年前に流行ったでしょうか。「わたしのお墓の前で 泣かないでください そこにわたしはいません 眠ってなんかいません」

 

子孫も、年を取って、このままでは、お墓参りも行けなくなってしまいそうです。ぼくのプリンシプル、「愛妻・納税・墓参り」が遵守できなくなりそうです。・・・「愛妻」だけはなんとか。

 

こんなときは、自宅で読書が一番。余談のあとは、「本と鍵の季節」の読書雑感です。米澤さんは、初めてです。推理小説の作家さんですか?主役は、高校2年生の二人、ストーリーが、二人の推理となれば、この本は、青年・推理小説

 

『本を探している!なんと本格的な、そして久々の図書室利用者であることか。僕が図書委員になったのは本が好きだからではなく、なんとなく選んだ結果に過ぎないけれど、それでも本分を尽くせるというのは意外に嬉しいものだ。声も心なし弾んでしまう。

「なんて本ですか」

その三年生は首を傾げた。

「それが、題名がわからない」

大いによろしい。あやふやな情報から書名を絞り込んでいくのは、まさに図書委員の腕の見せ所だろう。』

 

高校2年生の堀川次郎(ぼく)と松倉詩門は、図書委員として、利用者の少ない学校図書室で図書の貸し出しなど図書の管理をしている。ある暇そうな午後。3年生の先輩が図書室を訪れたてきた。

 

先輩の依頼は、自殺した同級生が、読んでいた本を探してほしいという。なぜ、かれは、そのような依頼をしてきたのか?疑問に思うが、まずは、本の特徴の聞き取りから始まった。本には、バーコードが三つあった。

 

『一般に流通している本には二つのバーコードがついていて、ひとつは値段を表わし、もうひとつはISBNコード、つまり本の識別番号を示している。そうした本が図書室に収蔵されるときには管理用バーコードが裏表紙の下部に貼り付けられるので、バーコードの数は三つになる。』

 

なるほど、今度、図書館で本を借りるときに観察してみよう。この検証で、捜している本は、図書室の本であることが推理できるわけです。

 

本と鍵にまつわる二人の推理が軽妙に展開される短編6編の連作小説でした。

「在宅ひとり死のススメ」

「在宅ひとり死のススメ」

上野千鶴子

2021年4月30日第5刷発行

文春新書

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 jam jam 神戸は、ジャズの街。jam jam は、元町駅のすぐ海側。「金時食堂」のビルの地下にあります。「金時食堂」のトイレを利用すると地下からジャズの音が響いています。リスニングエリアとカンバセーションエリアが分かれていて、とても居心地の良いジャズ喫茶です。

ジャズと言えば、10年前ぐらいかな?帰宅途中、加納町の交差点付近に「ホーリー」というジャズバーがありました。ときどき、そこで、一休みしていました。

 

ちょっと前に、オリンピックが開幕したかと思えば、もう、閉幕です。2週間、とても楽しませてもらったオリンピックに感謝です。

 

今回、特に感動したのは、柔道とスケートボードです。

 

柔道は、「精神一到何事か成らざらん」的な道徳の本になるような鍛錬を極める「道」の一つ。眉間にしわを寄せるようにして、汗をかきながら、まさに、死闘を演じます。

 

スケートボードは、十代の若い人たちを中心として、遊びとスポーツを融合させた新ジャンルの「アーバンスポーツ」。選手が、みな、和気あいあいとして、競技を愉しんでいました。

 

まったく、正反対に思えるふたつのスポーツは、どちらが良いとか悪いとか、そんなことは、関係なく、それぞれの道を、歩んでいけばいいと思います。

 

いまは、オリンピックで演技したすべてのアスリートに感動を「ありがとう!」と言います。

 

そして、史上最高の金メダルとメダル総数を獲得した日本のオリンピアに「おめでとう!」と言います。

 

 

と言うことで、余談と何の関係もなく、今週の読書雑感は、「在宅ひとり死のススメ」。

 

上野千鶴子さんの「おひとりさまシリーズ」最新作。この類の本は、ぼくの読書の対象ではないのですが、それでも、ときどき、本屋で手を伸ばしてしまいます。こりゃ、もう、先が見えているからかも?

 

老後・・・もう、老後?の不安は、誰しもあるものです。この本は、そんな不安を吹き飛ばしてくれます?か?

 

『ひとりで暮らしている年寄りがひとりで死んで何が悪い、それを「孤独死」とは呼ばれたくない。と思って、良くも悪くもなく、すっきりさっぱり「在宅ひとり死」ということばを創りました。』

 

介護保険ができて20年。この保険制度は、紆余曲折を経ながらも、「在宅ひとり死」を可能にしたらしいです。

 

『要介護認定を受けた高齢者は、ケアマネがつくだけでなく、疾患があれば訪問医と訪問看護師につながります。在宅のままゆっくり下り坂を下って、ある日在宅で亡くなる・・・ためには、医療の介入は要りません。医療は治すためのもの、死ぬための医療はありません。』

 

うむ、下り坂も、それなりに健康であれば、医療の世話にならずに、気がつけば死んでいた。そりゃ、理想ですね。できれば、病院ではなく、家のベッドで、死にたい・・・みな、同じ想いでしょう。

「文鳥」

文鳥

夏目漱石

平成19年2月15日70刷

新潮文庫

 

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向日葵 小野市ひまわりの丘公園に行きました。以前から、175号を走っていて、行ってみたいと思っていました。ちょうど、8月1日まで、切り花自由キャンペーン。もう、向日葵は見ごろが終わりでしたが、20本ぐらい頂戴して、急いで帰宅。

萎れかけていましたが、見事、復活しました。いっときは、向日葵が楽しめます。

 

 日経新聞朝刊の新聞小説「ミチクサ先生」の連載が終わりました。作者は、伊集院静さん。ミチクサ先生とは、明治の文豪夏目漱石です。夏目漱石の生涯をテーマにした小説。

 

漱石を主人公にした小説は、これまでも、数冊、読んだことがありますが、この小説は、ちょっと、コミカルで人間味のある漱石を描いているので、今までのものとは、趣向が違うように思います。

 

このブログでは、漱石について、なんども書いています。また、また、自慢ですが、ぼくの愛蔵している「漱石全集」(昭和3年初版)・・・古本ですが。これは、ガラスケースの本箱に、大事に、保管しているので、漱石は、別途、文庫本を読んでいます。

 

漱石全集刊行会が出版した「漱石全集」は、大正、昭和時代に、様々なものがあり、左程、財産的な価値はありません。ただし、ぼくの愛蔵している「漱石全集」は、就職祝いに、祖父の書斎にあったものを所望したので、ぼくにとっては、違った意味で価値があるものです。

 

どのような価値か?というと、ご先祖様の数人が読んだ痕跡が、巻末に、記されています。たとえば、「三四郎」の巻末には、読了日と「ストレイシープ、迷える子羊」という書き込みがあり、たぶん、祖父か、祖母か、若しくは、大叔父か、大叔母か、なのでしょう。

 

ぼく個人の歴史的価値は、ぼくの代で終わって、この本は、誰かに処分される運命にあるのだと思うと、いっその事、ぼくが元気なうちに処分した方がいいのか?なんてことも、考えるようになったお年頃です。

 

もう一つ、ぼくの宝物があるのですが、また別の機会に・・・。

 

余談は、これぐらいにして、「ミチクサ先生」を読了後、久しぶりに漱石を読みたくなって、短編「文鳥」をチョイスしました。「文鳥」は、漱石自身が、鈴木三重吉からもらい受けた『文鳥』を題材にした小作品です。

 

なぜ、「文鳥」を・・・?「ミチクサ先生」は、漱石がモチーフなので、漱石の生活感のある随筆?がいいのかな?と思ったのです。

 

『自分は又籠の傍へしゃがんだ。文鳥は膨らんだ首を二三度竪横に向け直した。やがて一団(ひとかたまり)の白い体がぽいと留まり木の上を抜け出した。と思うと綺麗な足の爪が半分程餌壺の縁から後へ出た。小指を掛けてもすぐ引っ繰り返りそうな餌壺は釣鐘の様に静かである。さすがに文鳥は軽いものだ。何だか淡雪の精の様な気がした。』

 

文鳥を「淡雪の精」といい、このあと、文鳥が、餌の粟を食べる様子を、「菫(すみれ)程な小さな人が、黄金色の槌で瑪瑙(めのう)の碁石でもつづけ様に敲いている様な気がする。」と表現しています。

 

漱石独特の品のある表現です。ぼくは、この漱石独特の品のある文章が好きなのです。たぶん、多くの人が、そうなのだと思います。

 

文鳥は、女中が餌やりを忘れたために死んでしまいます。えっ、漱石は、文鳥の世話を女中に任せていたの?案外、ずぼらな人だったのですね。

「夜の側に立つ」

「夜の側に立つ」

小野寺 史宜

令和3年6月1日発行

新潮文庫

 

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元町駅から神戸駅へ 

東海道本線山陽本線の結節点は、神戸駅にあります。ホームから、見えますよ。って、関係ないけれども、元町駅から神戸駅まで、元町高架横を歩いていて、「うむ、これは?」・・・Y字路とは言えないかも?単なる側道?高架の上を貨物車両が走っていました。

 

 いよいよ、2020東京オリンピックが開幕しました。すったもんだと、いろいろありましたが、世界から1万人以上のアスリートが集まって、技を競うのは、やはり、圧巻です。

 

コロナ禍もあり、どうなるのか?それは、わかりませんが、スタートした以上、愉しむしかないでしょう。無事、この大会が、エンディングを迎えて、「いい大会」だったと思えることを祈願します。

 

開幕式の前に、話題になったのが、聖火の点火者は誰・・・予想でした。SNSで、「大坂なおみ」との情報アリ。理由は、大坂なおみの1回戦が、当初の予定から1日ズレていたとのこと。ずばり、的中でした。いろいろ、ウオッチしている人がいるものです。

 

余談はここまでで、最近、小野寺史宜の青春小説にハマっていますね。まあ、ハマっているというか、もともと、ぼくは、青春小説を好む傾向があります。なぜか?年寄りが、過ぎ去った昔を懐かしむようなものかもしれません。

 

『信明と昌子は、生徒会長と副会長。壮介と君香は、元バスケ部のエースと吹奏楽部花形奏者というだけでなく、誰もが認める学年一の美男美女。その四人をバックに従えるヴォーカル兼ギターが僕。1年からずっと帰宅部で誰もその存在を知らないであろう僕。まずいどころじゃない。

というわけで、必死に練習した。』

 

受験勉強をひかえた高校3年生の4月。9月の最後の文化祭に向けて、突然、バンドを組むことになった。しかも、僕以外のメンバーは、わが校のスター揃い。

 

ここで、一言。50年ほど昔の話になりますが、高校3年生になると、4月に文系、理系の国公立、私立の志望別にクラス分けされます。ぼくは、成績が良くなかったので、文系私立のクラス。成績がよければ、国公立クラスです、残念。

 

そのような時期になって、秋の文化祭に向けてバンド活動を始めるということは、あり得ない。と、思いますが、まあ、これは、小説の世界なので、ちょっと、リアリティがないかな?

 

ぼくも、どっちかいうと、帰宅部で、高校生活・・・そんなに楽しいことはなかったけれど、ボチボチ、友達とは駄弁っていたくらいかな。そんな友達との付き合いも、まったくありませんね。唯一、年賀状のやり取りをしている友人が一人。でも、東京在住で、逢うことはありません。その彼は、生徒会長でした。

 

って、小説の話にもどしますが、十八歳、二十代、三十代、四十代の現在と、時間が行き来しつつしながら、主人公は、就職、トラブル、転職、恋などを経験します。ただ、いつも、十八のときのバンドの仲間との楽しい時間が宝物でした。

 

二十二年後、バンドのメンバーが集まったとき、事故は、起きました。

 

青春時代の宝物ってありますか?過去を懐かしんでも、戻れないので、今からが、青春です。そう、死ぬまで、青春。青春は、夢とあそびに満ちている。