つぶやき、空調服って

つぶやき、空調服って

これが、「空調服」です。

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

暑い日々が続いていますが、みなさま、熱中症には、十分に注意しましょう。

 

さて、今年も、シルバー人材センターから「散水」・・・簡単に言うと「水撒き」のオファーがありました。4回目の夏のオファーです。

 

今年は、左指の不調、左肩の不調と、体調が万全ではありませんが、まだまだ、老け込むわけにはいかないのでお受けしました。

 

「もう、わたしも、古希が近いので、今年は、どうしようかと思っています。」

「何を言っているのです。80歳で、やっている方もいますよ。」

「えっ、そうなんですか?」

という担当者とのやり取りでした。

 

それでも、今年の暑さは、ちょっと異常です。ということで、熱中症対策に、何か、いいアイテムはないか・・・と、考えていたら・・・ピッカ!

 

近所で、工事をしている人たちが、扇風機のついたベストを着ているのを見て、「これだ!」と、思いついたのです。

 

早速、ネットで探すと、これ、「空調服」というのですね。ネーミングとしては、今一つですが、いまはやりの「ワークマン」で、広告によると、五千円ぐらいで売っているとのこと。その程度であれば、熱中症予防のため、買っちゃおうかな?

 

「ワークマン」に行きました。たしかに、「空調服」は、四千五百円でありました。でも、この服、右と左の腰のあたりに穴が開いています。

 

・・・・そうなんです。

 

「ファン」と「バッテリー」は別売りだったのです。「ファン」(三千九百円)、「バッテリー」(七千九百八十円)。あわせて、一万六千円也。

 

しっかりと着込んでいる「空調服」。いまさら、止めるわけにもいかず、買っちゃいました。「ファン」と「バッテリー」も、その場で装着して、ブンブンと音を立てながら、帰宅して、やや、反省。

 

もう2回、「空調服」を着て「散水」に行きましたが、負け惜しみではありませんが、それなりに、快適ですね。そりゃ、そうでしょう、工事現場で、作業の方は、みなさん着ているのだから。

 

とうことで、散歩のときも、風船のように膨らんだ「空調服」を着て、ブンブンと音を立て歩いている老人・・・それは、「ぼく」かもしれません。

話は変わりますが、先日、とあるスーパーで、「お掃除ロボット」を見ました。とあるファミリーレストランでは、「配膳ロボット」も見ました。ついに、アトムの時代がやってきたのですね。余談までに・・・。

「八本目の槍」

「八本目の槍」
今村 翔吾
新潮文庫
平成4年5月1日初版

 

向日葵 小野ひまわりの丘公園の無料摘み取りが先週で終わっていました。今年も楽しみにしていたのですが、残念。6月の暑さで、向日葵も、少し、早めに開花してしまったのでしょうか。

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

またしても、コロナ大爆発。いよいよ、ぼくの身近でも、誰それが感染した、誰それが濃厚接触者になったなどの話題を聞くようになりました。4回目のワクチン接種済みといえども、油断はできません。


が、聞こえてくるのは、無症状やインフルエンザより楽だという感想、ただし、3回目の接種をしていない若い方は、のどの痛みが酷いようにも聞きました。


兵庫県人口550万人のうち60万人が感染しているわけで、おおよそ10人に一人は感染しているので、ぼくも、もう、何時感染してもおかしくないって感じです。なんとか、逃げ切りを果たしたいところですが・・・・。


さて、久しぶりの歴史時代小説です。今村さんは、「塞王の楯」で直木賞を受賞した、いま、注目の歴史時代小説作家です。

 

天正十一年(1583年)四月、殿下がまだ羽柴秀吉と名乗っていた頃、宿敵の柴田勝家と雌雄を決した賤ケ岳の戦いである。
「賤ケ岳七本槍」・・・・
最年長の甚内は、ようやく出世の足掛かりが出来たと興奮していた。助右衛門は喜びこそすれ、自ら誇るような真似はしなかった。己(虎之助)もこの部類である。助作などはむしろ持て囃されるのを嫌うように苦笑していた。孫六は元来出世に頓着が無いのか、茫と皆の輪に加わっていたように思う。
最も喜んでいたのは市松と甚平か。いまだにどちらも、 賤ケ岳七本槍の・・・・。と自らを名乗る時の枕詞のように使っている。』

 


「賤ケ岳七本槍」とは、賤ケ岳の戦いで活躍した秀吉の小姓たちのことです。この七本の槍の中には、佐吉は入っていません。


それぞれ、ご紹介しましょう。


虎之助、加藤清正(のちの熊本城主)=市松、福島正則(のちの広島城主)=甚内、脇坂安治(のちの洲本城主)=助右衛門、糟屋武則(のちの加古川城主)=助作、片桐且元(のちの豊臣家家老)=孫六、加藤慶昭(のちの松山城主)=権平、平野長泰(のちの大身旗本)。そして、佐吉とは、石田三成佐和山城主)です。


小説は、七本槍の七人と佐吉の物語の連作です。この時代の小説は、随分とありますが、この切り口は初めてですネ。


今村さんは、ある対談記事で、司馬史観を越えたいと、言っていましたが、うむ。司馬遼太郎は、歴史的事実にその時代の土地・人などの考察を加えて、独特の史観を展開しますが、この小説は、今村史観というより、今村歴史フィクションのレベルだと思います。


ちょっと、偉そうに辛口でした。

「四畳半タイムマシンブルース」

「四畳半タイムマシンブルース」

森見登美彦

角川文庫

平成4年6月25日初版

 

元町駅交番 元町駅の駅前に、ちょっとお洒落な交番があります。なぜ?鯉川筋を北上すると「海外移住と文化の交流センター」がありますが、これは、ブラジル移民事業と関係しています。神戸市とリオデジャネイロは、姉妹都市でもあり、30周年を記念して、ブラジルの教会をイメージして新築したとのこと。by兵庫県

 

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

先週、左肩の不調について書きましたが、結局、また、再発して、うむ、やや痛いのです。まあ、これも、加齢によるものと、諦めて、ながい~お付き合いをするしかないのでしょう。痛いところがあるのは、生かされている証拠・・・なんてね。

 

4回目のワクチン接種完了。ファイザーファイザー、モデルナ、モデルナの順番です。翌日、またしても副反応。倦怠感、微熱(37.7)、肩の痛み・・・(これは、もともとの不調との区別がつかない)ですね。

 

やっと、4回目接種が終わったと思ったら、なんと、高齢者は、秋以降に5回目の接種を予定とのこと。やれやれ、1年に2回のコロナワクチン、冬前のインフルエンザワクチンと、ワクチン漬けでゲップが出そうです。2種混合になりませんかね。

 

と、余談はここまでで、森見登美彦さんの「四畳半タイムマシンブルース」ですが、15年前ぐらいに読んだ「四畳半神話大系」の続編ですね。

 

タイトルは覚えていますが、内容は、すっかり忘れました。15年前ですからね。それでも、うっすらと読んだ記憶があるってことは、まだ、まだ、ボケてはいないようですね。

 

同じファンタジーSFの作家さんで万城目学さんも、愛読していますが、森見さんと万城目学さんは、どちらも京都大学出身ですね。そして、舞台が京都というご当地小説が多いようです。ただし、どちらも、多作ではなく、なかなかお目にかかれないのが残念です。

 

さて、「四畳半タイムマシンブルース」。タイトルから想像できるように、モチーフは、「タイムマシン」です。

 

『英国の大作家H・G・ウェルズが小説で「タイムマシン」を発表して以来百年あまり、「時間を旅する機械」というアイデアは、無数の人々によって繰り返し語られてきた。

なにゆえ我々はタイムマシンに心惹かれるのであろう。

それは我々人類にとって時間こそがもっとも根源的な謎であり、誰ひとり逃れることのできない普遍的な制約であるからだ。誰にとっても一日は二十四時間しかなく、泣こうが喚こうが砂時計の砂は絶え間なく流れ落ち、過ぎ去った夏は二度と戻らない。だからこそ我々は「時間を旅する機械」を繰り返し夢見てきたのだ。』

 

京都のある学生アパート、むさ苦しい四畳半で暑い夏を過ごす学生たち。なぜそこにあるのか、突然、四畳半程度の不思議な、まさに、ドラエモンがのっている機械をみつけた。

 

そう、それは「タイムマシン」。「タイムマシン」を見つけたら、はるか遠くに時空を超えて旅行する欲望があると思うが、学生たちは、昨日と今日と明日を行ったり来たりします。そして、そうのうち、時空を乱すことの危険に気づくのです。

 

さて、「タイムマシン」があったら、あなたはどうしますか?

 

ぼくは、怖いので乗りません。飛行機も新幹線も嫌いなぼくが、「タイムマシン」なんて乗れるはずがありません。そんな「夢の無い」ぼくでした。

つぶやき、アラ古希なのに五十肩?

つぶやき、アラ古希なのに五十肩?

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

まず、トピックス。安倍元総理の近畿大学卒業式のスピーチがYouTubeで、300万回を超える視聴。「大切なことは失敗から立ち上がること」。これは、とても、いいスピーチです。是非、ご視聴あれ。

 

ブログの本題、7月初旬のこと。

 

「痛い!痛い!」左の肩が・・・。

 

夜中に、突然、左肩が痛くなって、目が覚めました。とりあえず、その時は、サロンパスを貼って凌ぎました。

 

翌朝、今年2月に右肩痛のときに処方してもらった痛み止めを服用して、少し、楽になったのですが、右肩痛は、テニスをしていた時に違和感があったのですが、今回は、思い当たる節がありません。

 

「なんだか、嫌だな???」

 

ということで、整形外科に行ってきました。

 

いつものように、手を上げたり、下げたり、背中の方に回したり、可動域のチェック。次に、お決まりのレントゲンの撮影。

 

結果は、「肩関節炎」平たく言えば、「五十肩」って、「先生、ぼくは、もうすぐ七十ですよ。」「そうね、その年になると、あっちこっちガタが出てきますよ。リハビリ受けてね。前回と同じ薬でいいね。」「はい。」

 

ちょっと気になったのが、レントゲン結果の説明。「白く映っているのは、カルシュウムですね。典型的な五十肩ですね。」

 

「うむ、カルシュウム・・・それ何???」

 

ということで、ネットで検索。すぐに出てきました。「石灰沈着性腱板症」五十肩と間違われやすいが、いわゆる五十肩とは違うが、大きく言えば「五十肩」って、意味不明。

 

よく読んでみると、なにやら恐ろしいことが書いてある。そうなると、どんどん不安になって、「肩」「カルシュウム」「五十肩」のキーワードでネットサフィンの始まりです。

 

いろいろな整形外科が、HPで説明していますが、結局、ある整体のHPでは、「整形外科では、いろいろ書いているが、それは重症の場合であり、おおむね10日程度で痛みがなくなるので心配しなくてよい。」とのこと。

 

結果は、整体のHPのとおり。10日経過後、痛みが自然になくなりました。「ぼくのカルシュウムはどこに行ったのでしょうか。」痛くないので整形外科にもいかないので分かりません。また、再発するかもしれませんが???

 

多分、日薬で痛みが亡くなった人は、医者には行かないので、その後の経過は分からないため、重症の経過のみが書かれているのでしょうか。

 

ぼくが行った整形外科でも、「機械のリハビリで良くならなかったら、次は、理学療法士さんだね」と、軽くいなされたので、先生は、分かっていたのかもしれません。

 

「じゃあ、大したことないって言ってよ。」小心者のぼくでした。

 

追記

「何でも言って委員会」で、辛坊治郎が安倍元総理に色紙を所望。「初心忘るべからず」と揮ごう。「初心とは?」と問うと、「国家のために身を粉にして働くこと」。

何でもないやり取りのようだが、こんなシャイなことをさらりと言ってのける政治家。

 

「大人になったら、」

 

「大人になったら、」

畑野 智美

中公文庫

2022年4月25日第4刷

 

 

 BE ROKKO 再度公園(ふたたびこうえん)の修法ケ原池。秋には、紅葉の名所ですが、夏も、緑が綺麗です。三宮での時間調整で、久しぶりに、行ってみました。三宮から20分。池の傍に「風楽山荘」という売店があります。店主の趣味で、古いレコードをかけていました。ちょっと、癒されます。

 

 

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

安倍元総理に哀悼の念を表します。

 

大変な事件があったのに、暢気なブログを書いていますが、選挙応援中に凶弾に倒れた安倍元総理のご冥福をお祈りします。政治家としては、まさに、戦場で亡くなったわけで、武士(もののふ)として男子の本懐。と、松陰先生は言いそうですが。

 

さて、先日、仕込んだ梅シロップが出来上がりました。新潟の「藤五郎」という銘柄。紀州南高梅よりうまいぞ(梅を送ってくれた新潟の友人いわく)とのこと。

梅シロップは、砂糖水に梅の味がついたようなものですが、炭酸で割って飲むと爽やかです。夏の飲み物としては、いいかも?糖分の摂り過ぎが、ちょっと、気がかり。最近は、何でも、健康管理的思考。

梅シロップを作ったあとの「梅」が、結構、美味しい。今年は、毎日、これを一つ食べて、暑い夏を乗り切ろうか。

 

はい、いろいろ余談が多くなりましたが、ここから、「読書雑感」です。

 

畑野智美さんの小説は初見です。ストレートな感想では、江國香織さんに似た作風かな。たんに、大人の女性の心理がモチーフになっているから、そう感じるのかも。随分、昔に読んだ「号泣する準備はできていた」的な?

 

 

『何も決めず、全てから目を逸らせばいい。

 そういう人生が一番安全だ。

 会社が倒産しない限り、生きていける。

 けれど、このままではずっとひとりで、人生はただただ過ぎ去ってしまう。

 平均寿命の八十七歳と少しまで生きるとしたら、定年退職してからの二十七年と少しの間、ひとりで何をしたらいいのだろう。

 わたしが八十七歳になるころには、医療が進歩して、平均寿命は今より伸びると考えられる。健康で長生きするために、毎年ガン検診に行き、健康診断も受けている。しかし、なんのために長生きしたいのかは、わからない。』

 

 

三十五歳の女性、両親は他界、兄弟もいない。八年前に分かれて以来恋人もいない。ファミリーレストランの副店長。中学以来の友人が二人。そろそろ、これからの人生について、考えるようになった。

 

主人公、でも、まだ、若い。三十五歳、仕事も遊びも、一番、愉しい時だと思うけど。小説では、当然、臆病になっている恋愛へと発展する。心理ゲームの大人の恋愛小説。

 

こっちとらは、古希近くになると、体にもガタがきて、できていたことが、だんだん、できなくなる。出来なくなることを数えるのが「Dear Diary」になってくる。

 

小説の世界に入り込んで、ぼくは、少しは若返る。小説は、ぼくのタイムマシーン。

「スイート・ホーム」

「スイート・ホーム」

原田 マハ

ポプラ文庫

2022年4月5日発行

 

ハワイアン・パブ 神戸元町のハワイアン・パブ。店の看板は、黄色のサーフボード。お店は、2階。店内の棚には、ウクレレが数台飾ってあります。お客さんが弾くこともOK。ぼくも、飲みながら弾き語りで騒いだのは、もう、4~5年前のことです。まさか、今、指の不調でウクレレが弾けなくなるとは・・・。

 

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

異常気象です。

 

6月末から、暑い、しかも、とんでもなく蒸し暑いのです。気温30度超、湿度70%超、こりゃ、たまらんのです。なんとか、なりませんか。と、思っていたら。

 

今年も、新潟の友達から青梅が届きました。

 

昨年は、梅酒に漬け込み、先日、試飲しましたが、ホワイトリカーが強いだけで旨味がないので、まだ、漬け込み不足かな?それとも、ホワイトリカーではなく、ブランデーにしておいたほうが良かったかな??ということで、まだ、寝かしています。

 

そこで、今年は、梅シロップにします。これは、簡単。前回と違う工程は、ヘタを取った後、水気を取って、冷凍庫で1日以上熟成させること。冷凍することで細胞が壊れて旨味が出てくるとのこと?そして、氷砂糖を入れて、10日もすれば出来上がりの予定。さて、どうなるでしょうか?

そうそう、ベランダで栽培しているトマトが真っ赤になりましたよ。早速、冷奴の付け合わせで食べましたが、むかしのトマト臭さがすごい。なんだか、とても、懐かしい味がしました。

 

余談は、ここまでで、原田マハさんには、めずらしいファミリーほんわか小説でした。

 

舞台は、宝塚の「スイート・ホーム」という洋菓子店。パティシエのお父さん、看板娘のお母さん、お姉ちゃん、妹の4人家族の物語。

 

『私たち家族は、私が生まれた年からずっと、秋になってキンモクセイの花が咲いたら、木の前で記念写真を撮影するのを恒例にしてきた。

 腕利きのパティシエのお父さんの趣味は、カメラ。宝物の一眼レフのデジタルカメラに三脚を付けて、しっかりと地面に据える。お母さんとお姉ちゃんと私、三人を、キンモクセイの木の前に並ばせて、こっちこっち、もっと寄って、ほら晴日、お姉ちゃんと手ぇつないで、と、ファインダーをのぞきながら、せわしなく指示をするお父さん。

 よっしゃ、ほな、いくで。いまから、十、から逆から数えんねんで。せえの。』

 

どこにでもあるべたな家族の風景。こんな家族小説・・・いまどき、ある?だから、かえって新鮮に思えるのが不思議。

 

そういえば、ぼくも、キャノンEOS一眼レフ(もちろん、フイルムカメラ)、望遠レンズ、三脚をセットで買って、同じようなことをやっていたね。たぶん、カメラには、フイルムがそのままになっていると思う。

 

この小説、会話は、こてこての関西弁です。ぼくは、関西在住ですが、関西出身ではないので、ちょっと変わった関西弁らしいです。

 

関西弁の家族小説・・・ちょっと、癒される読み物でした。

「楽しい孤独 小林一茶はなぜ辞世の句を詠まなかったのか」

「楽しい孤独 小林一茶はなぜ辞世の句を詠まなかったのか」

大谷 弘至

中公新書ラクレ

2021年11月20日発行

 

觜﨑屋(はしさきや)本店 播磨の小京都、龍野。古い商家が立ち並ぶ一角に和菓子屋さんの「觜﨑屋本店」。屋根の上の古い屋号の書いてある街燈。現代のネオンと言ったところか?

おやつに、ぼくは、「醤油饅頭」、細君は、「麩まんじゅう」。夕食のあとの「くずもち」も買いました。

 

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

最近、テレビのバラエティ番組「プレバド」の影響で、俳句ブームとのこと。そこで、ぼくも・・・・と思ったことはありますが、思っただけで、文学的な才能が欠如しているとの自覚により俳句をやっているわけではありません。

 

この本は、老後の生き方を模索中のぼくとしては、俳句というより「楽しい孤独」というタイトルに興味を持ったのです。そうは言っても、

 

小林一茶と言えば、

 

『我と来て 遊べや親の ない雀

 痩せ蛙 まけるな一茶 是に有

 やれ打つな 蝿が手をすり 足をする』

 

蕪村、芭蕉とくらべて、親しみの持てるユーモラスな俳句が多いので、好ましい俳人の一人ですね。

 

それぞれ活躍した年代を調べてみると、松尾芭蕉江戸前期1644~1694)、与謝蕪村(江戸中期1716~1784)そして、小林一茶(江戸後期1763~1828)ということで、俳句に、その時代が反映されているのかもしれません。

 

その後、明治になって正岡子規が、写実主義の俳壇を確立して、今、「プレバド」で、梅沢富美男が、俳句人気を盛り上げているということかも。

 

江戸期、俳人の多くは、辞世の句を残したらしいですが、一茶には、ないそうです。

 

「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」(芭蕉

「しら梅に 明ける夜ばかりと なりにけり」(蕪村)

(子規絶句3句)

糸瓜(へちま)咲いて 痰のつまりし 仏かな」

「痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず」

「をとといの へちまの水も 取らざりき」

 

小林一茶俳人としての足どり、そして、一茶の生きた時代と照らし合わせながら、一茶の生涯とその俳句を紹介する「楽しい孤独」。

 

ときどき、読み返したい本ですね。

 

「老が身の 値ぶみをさるる けさの春」

一茶、晩年の一句でした。