新・風に吹かれて&宝塚記念

新・風に吹かれて

■新・風に吹かれて
「新・風に吹かれて」(五木寛之著)五木の随筆を始めて読みました。なかなか、読みやすくて、平易な文書で、好感のもてる随筆でした。(少なくとも、大江健三郎のものよりは読みやすい)五木といえば、我々世代では、誰でもご存じ「青春の門」。映画化も何度もされ、織江役の大竹しのぶの演技に感動したものです。当時、五木といえば、時代の寵児で文壇活動以外にも、テレビなどでも活躍していました。その五木も70歳を超えて、人生を振り返る随筆を書くようになったのです。というか、文人は、皆さん、そういう傾向にあるようです。と思っていたら、五木は、新人作家のころに「風に吹かれて」という随筆を書いており、今回、続編ということになります。今度、「風に吹かれても」読んでみて、若い五木と70歳を超えた五木を比較してみるのも面白いかもしれません。
この随筆で、印象に残った部分を2〜3箇所をご紹介しましょう。
「私の持論では、腹八分というのは30代の大人のための基準である。10代は腹十分でよろしい。20代は腹九分。そして30代から一分づつ減らしていく。40代で腹七分、50代は腹六分、60代は腹五分といったところ。
70代では腹四分というのが私の養生法だ。80代で腹三分、90を過ぎれば腹二分で十分だろう。百歳以上は腹一分あとは霞を食って生きるべし。」
五木は、病院嫌いで、いろいろな病気を経験しているが、ほとんど病院にお世話になってないそうである。そして、今、毎日、1食半の食事で過ごしているそうである。ほんとか否か!まあ、本人が言っているのだからそうなんでしょう。ただし、結構、破天荒な性格のように見受けられるので、実行しているかも!
もう一つ「病気も、体の故障もいったん生じたものは元にはもどらない。「治る」のではなく、一時的に「治まっている」だけなのだ。そして、その「治まっている」状態をできるだけ長続きさせるのが養生というものだろう。
国家にもゴタゴタはつきない。つねに問題を抱えている。それを「治める」のが政治というものだ。世の中には永遠の解決も、完全な安定もない。人間の体も同じことだ。病気は「治らない」。「治める」しかないのである。私はそれを「体冶」と呼んできた。国を「治める」のは「政治」。体を「治める」のが「体治」。
病気を退治する、などと考えてはいけない。病気を「体治」する、という視点が大切である。」
さすがに作家である。うまいことを言うものである。
この他、なかなかうならされる文章表現を紹介しきれないが、1週間で読み切れる面白さでした。
宝塚記念
上半期の最優秀馬決定戦。思ったとおり、メイショウサムソンアドマイヤムーンの一騎打ち。でも、ウオッカを軸に3連単は購入。仕方ないよね。51キロだし、馬場が渋れば、この斤量は魅力。快晴だったら、ウオッカは買わない予定だったけど、変更してしまった。まあ、ウオッカのダービーの印象が強すぎた。結果は、アドマイヤ、メイショウ、ホップロックという順当な順位でした。やはり、3歳牝馬には、古馬との対決は、厳しかった。道中は、いい感じだったが、やはり、ここで力を使いすぎたのか、直線の上りで伸びない。ダービーと同じ足色ではない。それだけ、道中が、厳しかったということであろう。上半期最後のG1は、これまでの大荒れから一転して、順当な結果で終了しました。