万年筆

万年筆

■万年筆
私は、昔から万年筆の愛好家です。愛好家と自称するのは、最近、万年筆で字を書く人が少なくなっているから、敢えて、愛好家と言いました。
私が初めて自分の万年筆を手にしたのは、中学校1年生に入学した時だと思います。当時は、中学校に入学したら万年筆を買ってもらえるということで、何だか大人の仲間入りをするような気持ちした。最初の万年筆は、セイラーだったと思います。誇らしげに、詰襟の学生服の胸ポケットに、その万年筆を差して通学したものです。思えば、鞄は「雑嚢 (ざつのう)」(腰の当たりに下げる小型のショルダーバッグみたいな物です。)を肩から提げていましたので、万年筆はポケットから見えるか見えないかだったと思います。それでも、同級生のほとんどが、同じようにセイラーかパイロットの万年筆を胸ポケットに光らせていました。
その後、主に万年筆を使ったのは大学時代だったでしょう。私は、S試験(国家試験)の勉強をしていたので、その論文試験が万年筆使用と言うことだったので、随分、模擬答案を書くのに万年筆を潰した記憶があります。
その習慣で、会社に入社してからも決裁書などは、万年筆で書いていました。もう、当時は、万年筆よりはボールペンを使う人の方が、多かったと思います。
今でも、その習慣は変わることなく、メモ帳への記入、日記、手紙は、ほとんど万年筆を愛好しています。愛好していると偉そうにいっても、今は、パソコンの時代で、この原稿もパソコンで打ち込んでいますし、会社の報告書類もパソコンで作成し、万年筆の活躍の場所は、少なくなってきました。私は、文筆家ではないので、愛好家と言うのは、おこがましいのかもしれませんが、まあ、私の近くに居る人たちよりは、愛好しているということです。
亡くなった親父も、万年筆の愛好家でした。親父は、若い時は、パーカー、モンブランなどの舶来物を好んで使って、それが古くなると、私のもとに来たものです。その親父も、亡くなる1年前ぐらいから握力がなくなったため万年筆で字が書けなくなり、私への手紙を筆ペンで書いてよこしていました。
私は、大人になってからは、プラチナの万年筆を愛用していました。プラチナは、ちょっとマイナーなメイカーかもしれませんが、万年筆メイカーとしては老舗です。確か、会社は愛知のどこかだと記憶しています。
今は、黒のセイラーとべっ甲模様のプラチナの二本の万年筆を愛用しています。前者は会社用、後者は自宅用です。いずれも、親父が亡くなった後、実家の親父の引出しを整理していて、見つけた万年筆のうち使えそうな物を拝借してきたものです。
この二本の万年筆が、壊れた時に、まだ、私が字が書ける健康状態であれば、私は、再び、万年筆を新調し、愛好家と称するでしょう。