人生感意気

硯

■人生感意気
唐詩選巻頭「魏徴」作「述懐」の五言古詩の有名な最後の二句の部分です。
「述懐」は次の句から始まり、
中原還逐鹿(中原還(チュウゲンマタ)タ鹿(シカ)ヲ逐(オ)イ)
投筆事戎軒(筆(フデ)ヲ投(トウ)ジテ戎軒(ジュウケン)ヲ事(コト)トス)
最後の二句が、
人生感意気(人生(ジンセイ)意気(イキ)ニ感(カン)ズ)
功名誰復論(功名(コウミョウ)誰(ダレ)カ復(マタ)タ論(ロン)ゼン)
で終わります。
最後の二句の意味は、「人生とは、意気に感ずるもの。誰に功があるかなどとは、問題とするところではない。」ということです。
この句を紹介したのは、私が大学に入学したとき、入学のお祝いに今は亡き親父から硯を貰いました。その硯の裏に「人生感意気」と彫ってあり、故郷から上京する私への親父のメッセージだったのです。
おそらく、今から思えば、私は大学入試に失敗して、滑り止めのN大学に不承不承入学し、上京することとなったのですが、そのことを何時までも引きずらずに与えられた場所で精いっぱい頑張って来るようにとのことだったのでしょう。
硯を貰ったのは、私は小学生のころから習字を習い、私の習いごととして、中学、高校と続けていました。自慢になりますが、その間にいただいた賞状、メダル類が今も実家に束になって残っています。大学に入学してからも、教養学部の時、三島に居たので熱海の先生に師事し、1年間、内弟子のような生活をしていました。2年から学部に移って、上京し、N研究室(S試験(国家試験)を受験するために大学が用意した予備校のようなもの)に入室し、S試験の勉強に没頭したため、それからこの硯で墨をすることはなくなりました。
今、この硯は、硯箱に納められて本箱の上に収納されています。
そういえば、息子が生まれたとき、命名を書くのに墨をすって半紙に書いて、両方の実家に送った記憶があります。その後も、時々、墨をすることはあっても、昔のように、書くようなことはありません。
折角、両親が身につけさせてくれた習字(一時は、書道と呼んでもいいぐらいには腕をあげたつもりでしたが・・・)でしたが、習い事、身に付かずで終わってしまって申し訳なく思っています。
お盆を迎えて、墓参りに帰省することもしない親不孝者の親父の思い出です。
言いわけですが、親父の口癖は「俺とお前の居場所は違うが、心の居場所は同じ」でした。きっと、千の風に乗って、私の町の空を吹き渡っているのでしょう。