武士の一分(その2)

故郷の山々

■武士の一分(その2)
昨日、休暇を取得し、Yさんと墓参りと故郷で1人暮らしをしている母に逢うために日帰りの帰省をしてきました。
亡き父のお墓の前で涙ぐみ、位牌の前で涙ぐみ、配食の夕食を食べる母の姿に涙ぐみ、タクシーに乗り母と別れる時に涙ぐみ、まったく、涙腺がすっかりと緩くなったものです。
もう少し、頻繁に帰省し、何泊か宿泊してやればよいのにと思うのですが、私が体調を崩してから、私自身にそうすることに自信がなくなってしまったのです。自信がなくなってしまったというのは、何時、また、体調がおかしくなるのかという不安なのです。
いつもの生活では、会社へも行き、仕事もし、時には歓送迎会にも出席し、休日はテニスもしと、まったく普通の生活なのですが、そのリズムを崩すことが踏み切れないという厄介な、言ってしまえば我儘なのです。
まあ、私の体調のことは、またの機会に書くこともあるとして、早速、実家の書棚を探し、見つけました。何をって、「武士の一分」の原作の藤沢周平の「盲目剣谺返し」です。この時代小説は、「隠し剣 秋風抄」の1編として収められていました。ちなみに、本の帯には「酒乱剣、好色剣、盲目剣など異色の剣客小説9編を収める。」と記載されています。姉妹編として「隠し剣 孤影抄」があります。その2冊を母の許しを得て拝借してきました。
帰りの新幹線で「盲目剣谺返し」のみを読みました。短編なので、ものの30分もあれば読了してしまいます。このような短編が映画化されたのかという逆に驚きでした。何故、山田洋次監督が藤沢周平の数ある短編時代小説からこの作品をセレクトしたのか、それは解りません。あるいは、全編を読んでみればその理由が解るのかもしれません。でも、その理由は解らないでしょう。なぜなら、私は山田洋次監督ではないからです。
映画は原作にほとんど忠実なストーリーであり、内容した。「武士の一分」のタイトルも原作の中で一か所だけ出てきました。それは、果たし合いの場面です。引用すると、

だが、狼狽はすぐに静まった。勝つことがすべてではなかった。武士の一分が立てばそれでよい。敵はいずれ仕かけて来るだろう。生死は問わず、その時が勝負だ。
−来い、島村。
待ってやろう、と思った。木部道場では、免許を授けるときに「倶ニ死スルヲ以テ、心ト為ス。勝ハソノ中ニ在リ」と諭し、また「必死スナワチ生クルナリ」と教える。いまがその時だった。

ところが、私が映画の中で一番に気になっていた「つがいの文鳥」は原作にはありませんでした。やはり、山田洋次監督の脚色だったのです。映画には、この「つがいの文鳥」が必要だったのです。観客に対して、ただの時代小説ではなく、スパイスとして、夫婦の強い絆というか愛情というか、そういったものを映像として表現するためのアイテムが一つ必要だったのではないでしょうか?このことは、山田洋次監督に聞いてみないとわかりません。「何故、原作にない「つがいの文鳥」を出演させたのか?」