何のために生きるのか

何のために生きるのか

■何のために生きるのか
「何のために生きるのか」稲盛和夫五木寛之の対談集です。題名は、強烈ですが対談の中身は、7章に分かれており、両者のこれまでの人生を振り返りながら、お互いの人生観を語り合うという内容です。
五木寛之は、このブログでも紹介済みでもあり、ご存じのとおりですが、その生い立ちは、朝鮮からの引揚で相当のご苦労があったようです。
稲盛和夫は、京セラの創業者であり、KDDIの創業者でもある。鹿児島出身で、この方も戦中戦後、相当のご苦労があったようです。特に、京セラの創業時のお話は、興味のあるお話でした。
対談集のそれぞれのタイトルを紹介すれば、おおむねその内容を知ることができます。

第1章 同時代を歩んだソウルメイトとして
第2章 こころが乾いてしまった日本人
 ここで面白かったのが、今の日本人には歌がない。昔、歌われていた歌には、心があった。
 夕焼け小焼けで日が暮れて
 山のお寺の鐘が鳴る
 お手手つないで皆帰ろう
 カラスと一緒に帰りましょう
ここには、山川草木悉有仏性のすべてがあらわされているという。
 もう一つ、すごい歌を紹介します。
一 唄を忘れた 金糸雀(カナリヤ)は
  後ろの山に 捨てましょか
  いえ いえ それはなりませぬ
二 唄を忘れた 金糸雀
  瀬戸の子薮に 埋けましょか
  いえ いえ それもなりませぬ
三 唄を忘れた 金糸雀
  柳の鞭で ぶちましょか
  いえ いえ それはかわいそう
四 唄を忘れた 金糸雀
  象牙の船に 銀の櫂
  月夜の海に 浮かべれば
  忘れた唄を おもいだす
第3章 いま宗教の力を問い直すとき
第4章 新しい浄土の物語をつくる

 ハスの花の咲いた浄土ではなく、時代に合った新しい浄土のイメージを作り出すとの提言。
 この章で、「坂の上の雲」(司馬遼太郎)の題名の本当の意味を知りました。大方の説では、明治の高度成長の応援歌のように思われていたのですが、司馬さんは、まったく違うと言っていたそうです。その意味は、永遠に到達することのできない目標と言う意味なのだそうです。すなわち、日本人が明治維新以後、西欧諸国を猿まねしていたが、それはあくまで猿まねであるというアイロニーが背後にある題名だそうです。

第5章 人生の転機から見えてきた「生き方」
 この章では、それぞれの人生の転機を語っています。
 「稲盛和夫・わが転機を語る こころと運命」
 「五木寛之・私の転機 世界が一変した植民地での敗戦」
第6章 ポジテイブとネガテイブの出会う場所
第7章 他力の風を受けて生きる

最後に、「他力本願」ここ独力で頑張ろう。何とかしよう。と言うときに後ろから他力が肩を押してくれる。必死に生きようと努力する人は、心を澄ませた時に他力が受け入れられる。他力は自力の母であると締めくくる。