ふるさとは遠きにありて思ふもの

連絡船

■ふるさとは遠きにありて思ふもの
早いものです。先週、墓参りに帰省したかと思っていたら、もう1週間が過ぎてしまいました。先週は、元気にしていた母親が、今日は、入院すると昨晩、電話で言っていました。入院するといっても、身体的のどこが悪いというのではなく、1人で暮らしていて寂しくなるのでしょう。そういう時に、不調を訴えて、隣の病院に入院します。遠くにいる身としては、心配ですが、何もしてやれないというもどかしさはありますが、それも、もどかしさであり、結局は、電話で励ますことしかできません。こういう時に、室生犀星の抒情詩を口ずさみます。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

先週、帰省した時に、母親とお昼をカモンワーフで食べました。カモンワーフは、昔は、唐戸市場と言って、魚市場と青物市場があり、故郷の地域の食材の供給基地でした。今は、場所が移動しましたが「ふく」のセリも唐戸市場でやっていました。その場所が、すっかり様変わりして、観光市場に変身しました。昔を、懐かしむ者にとっては、何だか、すっかり奇麗になったなという思いです。どちらかというと小汚い場所、物が、どんどん奇麗になるのは、良いことなのかどうか?市場なるものは、もともと食材を素のままで扱うため、海の雑物や畑の土などが入り混じった雑然とした場所であることが本来の姿であり、そこには、市場の人しか出入りできず、一般の消費者は、そこで洗練された食材をお店で購入するという仕組みだったのです。それが、今は、観光市場として、市場自体が洗練されて、そこに、あたかも獲れたてで新鮮そのものを売り物としたレストランまで併設されています。
その唐戸市場のすぐ隣が港になっていて、門司への連絡船が出入りしています。門司まで、所要時間は10分か15分ぐらいだったと思います。関門橋が完成して、この連絡船は、一時廃業の危機にありましたが、レトロタウン門司の隆盛とともに息を吹き返したようです。今では、門司と一体となって関門観光で売り出し中のようです。
そのまた隣に「海響館」という水族館が新設されて、これも人気のスポットのようです。私が、高校時代は、水族館は私の通学する高校の横にあり(今の場所からは、車で20分ぐらい東の方面)、弁当を食べるのに隣同志のよしみで塀を乗り越えて、水族館に遊びに行っていたことも昔話になりました。その昔の場所に、「くじら館」といって、おおきなクジラの形をした博物館がありましたが、いまは、そのクジラのみが寂しく小山の上を泳いでいるようです。