どんぐり

どんぐり

■どんぐり
秋も深まり、団栗の木には、団栗の実がたわわに実り、やがて、はじけて落ちるころです。そして、公園の園路は団栗のはじけ落ちた実でいっぱいになります。
何てことを、考えながら、昨日、細君と相棒のワン公と夕方の公園を散歩していました。
団栗を見ると、私は、「どんぐり」という寺田寅彦の随筆を思い出します。

「もう大概にしないか、ばかだな」と言ってみたが、なかなかやめそうにもないから便所に入る。出てみるとまだ拾っている。「いったいそんなに拾って、どうしようと言うのだ」と聞くと、おもしろそうに笑いながら「だって拾うのがおもしろいじゃありませんか」と言う。ハンケチにいっぱい拾って包んでだいじそうに縛っているから、もうよすかと思うと、今度は「あなたのハンケチを貸してちょうだい」と言う。とうとう余のハンケチにも何合かのどんぐりを満たして「もうよしてよ、帰りましょう」とどこまでもいい気なことをいう。
どんぐりを拾って喜んだ妻も今はない。

何とはない公園での夫婦の会話ですが、寅彦の妻への愛情がほとばしるような一節です。

あけて六つになる忘れ形見のみつ坊をつれて、この植物園へ遊びに来て、昔ながらのどんぐりを拾わせた。こんな些細な事にまで、遺伝というようなものがあるものだか、みつ坊は非常におもしろがった。五つ六つ拾うごとに、息をはずませて余のそばに飛んで来て、余の帽子の中へひろげたハンケチへ投げ込む。
「おとうさん、大きなどんぐり、こいも こいも こいも こいも こいも みんな大きなどんぐり」
「大きいどんぐり、ちっちゃいどんぐり、みいんな利口などんぐりちゃん」とでたらめな唱歌のようなものを歌って飛び出しながらまた拾い始める。

妻の墓参のあと、妻との思い出が残る植物園で、子供が妻と同じようにどんぐり拾いに興じる。

余はその罪のない横顔をじっと見入って、亡妻のあらゆる短所と長所、どんぐりのすきな事も折り鶴のじょうずな事も、なんにも遺伝してもさしつかえないが、始めと終わりの悲惨であった母の運命だけは、この子に繰り返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである。(明治三十八年四月、ホトトギス

皇后陛下もお好きな「どんぐり」の一節を紹介しました。