はじめての文学

はじめての小説

■はじめての文学
「はじめての文学」(宮部みゆき)は、本離れの現代の若者を単行本に呼び戻そうと言う文藝春秋社の企画で、全12巻12人の作家によるシリーズ本の1冊です。
10月27日から11月9日までが、毎年、読書週間だそうですが、この頃になると、毎年のように、活字離れ、本離れの警鐘が鳴らされます。
読売新聞の調査によると、

この1か月間に何冊の本(雑誌を除く)を読んだか――を聞いたところ、「読まなかった」という人は、昨年調査より2ポイント増え、50%に達した。10年前の調査と比べると、10ポイント増で、本離れの傾向に改善の兆しは見られなかった。

そこで、文藝春秋社のような企画が始まったのでしょうが、そう思惑どおりに成果が出るか、検証の方法が難しいと思いますが、少しでも、本離れが改善できれば結構なことだと思います。
何が、結構かと言うと、「マンガは抽象的な思考能力を低下させる。なぜならば、視覚によって具象的に場面を見るからです。小説を読みなさい。そこには、頭の中で小説の世界が広がります。そして、抽象的思考能力が向上します。」とは、よく言われたものです。では、抽象的思考能力が向上すると、何がよいことなのでしょう。おそらく、一般論として、考える力を育成できるということだと思います。
宮部みゆきは、第4巻を担当していますが、掲載されている短編小説は、過去に既に発表の作品ですが、宮部みゆき自身が、この企画のためにセレクトした作品です。
掲載作品は、「心とかすような」「朽ちてゆくまで」「馬鹿囃子」「砂村新田」の4作品です。前の2作品は、現代物の軽いサスペンス小説、後の2作品は、時代物の軽いサスペンス小説で、いずれも若い人を主人公とした作品です。企画に併せて、読みやすい作品でした。
宮部みゆきがこの企画に向けて、次のような巻頭言を書いています。「宝物を探そう」ですが、共鳴できることが書いてありますので、その一部を紹介します。

「小説という「物語を語る媒体」には、絵も音も音楽もなく、驚くような特殊効果もついておらず、とても地味です。その代わり、人が文字を生み出し、それを使い始めたときから存在している古い古い形式だという、歴史があります。年季があります。皆さんが活字で表現された物語に触れるとき、その本の後ろには、数え切れないほどの書き手たちが延々と書き継いできた「人間というこの複雑な生き物」への、経緯と哀惜、共感と愛情、怒りと傷心―――ありとあらゆる感情が堆積されてできあがった、広大な世界が存在しているのです。
そこには必ず、皆さんだけの宝物が埋もれているはずです。スコップもロープもカンテラも、足元を固めるブーツも要りません。ただ、ページを繰ってみてくださるようお願いします。」