そうか、もう君はいないのか

そうか

■そうか、もう君はいないのか

あっという間の別れ、という感じが強い。
癌と分かってから四か月、入院してから二か月と少し。
四歳年上の夫としては、まさか容子が先に逝くなどとは、思いもしなかった。
もちろん、容子の死を受け入れるしかない。とは思うものの、彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる。容子がいなくなってしまった状態に、私はうまく慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、「そうか、もう君はいないのか」と、なおも容子に話しかけようとする。

城山三郎、愛惜の回想記」の新聞広告を見て、早速、西神中央そごうの6Fにある紀伊国屋書店に出向き、購入しました。半日もあれば、読み切れる単行本です。
城山三郎さんは、昨年、2007年3月にお亡くなりになっていますので、遺稿ということになります。
回想記の内容は、奥さんとの出会いの頃から、奥さんがお亡くなりになるまでの奥さんとのエピソードを中心に書きあげたものです。

「私のこと、書いて下さるって?嬉しいわ。でも恥ずかしい」
「うん、だけど最後まで書けるか、どうか・・・・」

という下りがありますが、「指揮官たちの特攻」を脱稿する時期の会話のようですが、推測するに、すでに、作品の構想として、奥さんとの生活を書く予定になっていたのか、ある程度、書き進んでいたのではないでしょうか?ところが、2000年に奥さんが、突然に、亡くなり、一時、原稿が進まなくなった。以後、少し、お亡くなりになる時期を書き足して、遺稿となったように思われます。なぜならば、作品の途中から、唐突に、奥さんの病気、そして、奥さんの死のことに流れが大きく蛇行していくからです。真実は、城山さんに聞いてみるしか解りませんが、もう、できない相談です。
回想記の書き出しは、城山三郎のある講演会のシーンから始まります。

口を開こうとした瞬間、二階席最前列の端に居る女性客に気づき、声が出なくなった。妻の容子が来ていた。
しかも、目と目が合った瞬間、容子は両手を頭の上と下に持ってきて、ふざけた仕草で「シェー!」

そして、奥さんと海外勤務の息子との最後の別れで、回想記が終わります。

突然、容子がベッドに身を起こしたかと思うと、降りるというより、滑り落ちた。
何事かと驚くまでもなかった。
次の瞬間、容子は息子に向かって、直立して挙手の礼。
息子も驚きながらも、容子に向かい、直立して挙手の礼を返す。
私は久しぶりに笑い声をあげた。もちろん、容子も息子も笑顔。
三人が笑っての最後の別れとなった。
そのシーンを思い出すたびに、私は声も出なくなる。いや、声なき声でつぶやきたくなる。「生涯、私を楽しませ続けてくれた君にふさわしいフィナーレだった」、と