「シュル、シュル」を「もう何年、滑ってないだろう。」

浅田真央

■「シュル、シュル」を「もう何年、滑ってないだろう。」
昨日、フィギュアスケート四大陸選手権をテレビ観戦していて、そんな思いに駆られました。大会は、浅田真央の優勝、4回転ジャンプにチャレンジし、残念ながら失敗したものの安藤美姫の3位という結果でした。浅田真央のスケーテイングは、ミスもほとんどなく完璧でしたが、安藤美姫には、何とも言えないフィギュアスケターとしてのオーラーを感じました。フィギュアスケートのエンターテイナー性からすると、ジャンプの失敗はあるものの安藤美姫のスケートの方が、魅了するものがあると思います。ただし、スポーツなので、そうすると、技の失敗は減点になるのは仕方ないことです。
フィギュアスケートを観戦しながら、「もう何年、滑ってないだろう。」とは、私には、スケートの思い出があるからです。まだ、長男が幼稚園の園児の頃、千葉の稲毛海岸のマリンピアのスケートリンクで、私と長男の2人が2シーズン続けて、スケートスクールに入って、親子でスケートを習ったことがあったからです。その頃、「靴の借り賃よりマイシューズを買った方が得だね。」という皮算用もあって、私、細君、長男の3足のフィギュアスケートシューズを購入しました。
それから、冬のシーズンになると、毎週のようにホームリンクであるマリンピアのスケートリンクはもちろんのこと、市原の流れるプールが冬はリンクに変身していたのでその市原のリンク、代々木のリンク、遠くは、富士急ハイランドの屋外リンク、珍しく夏でも営業している早稲田のリンクなどへ、スケートの行脚に出かけたものです。その頃、長男が、滑降しながら、何故か、「シュル、シュル」「シュル、シュル」と言っていたので、我が家では、当分の間、スケートのことを「シュル、シュル 行こうか?」と言っていました。私と細君は、腕というか足はあまり上達しませんでしたが、長男は、みるみるうちに上達して、私たちを尻目に、まさに自由自在に、転ぶことを恐れることなく滑っていました。
神戸に転勤してからも、ポートアイランドのリンクには、毎週のように、長男のサッカーの練習が終わってから(その頃、私も少年サッカーのコーチをしていたので、長男とは、休日は、何時もセットでした。)、それぞれのマイシューズを肩に抱えて、出かけていました。その頃、長男のシューズは、フィギュアからホッケーに買い替えていました。彼が、私の誘導に併せて、バックの滑走をしていた時、「僕、ホケーチームに入らんね。今からだったら、国体に行くこともできるよ。」なんて、勧誘を受けたこともあります。結局、彼は、サッカーを選択しました。
その頃、私は、ポートアイランドのリンクのスケート教室に会社の帰りに通うなどして、さらに、熱心になり、できれば、アイスダンスのチームに入りたいと思っていましたが、平成9年頃から仕事が忙しくなったことと、長男が小学校高学年になるに従い、サッカーの方が忙しくなったため、徐々に、スケートへの足が遠のいてしまいました。
私と細君のスケートシューズは、今でも、健在ですが、さすがに、長男のシューズは、彼には小さくなってしまいました。白い小さなスケートシューズが、私と細君の昔の思い出となっています。今度、スケートに行くときは、細君との2人ですが、きっと、壁の花になるのでしょう。