水上のパッサカリア

水上のパッサカリア

■水上のパッサカリア
この小説では、パッサカリアは、ヘンデルチェンバロ組曲第7番ト短調パッサカリアを指しています。パッサカリアとは、西洋音楽の音楽形式といっても、私は門外漢なので、よくわかりませんが、そういった形式の一つだそうです。ヘンデルのこの曲を聴いてみるとまさに古い感じの舞曲です。私が聞いたのはバイオリンとヴィオラの二重奏でしたが、クラシックにまったく縁のない私には、はっきりいって評価の仕様がないということです。まあ、パッサカリアは、簡単に言うと、ソナタ、ロンドなどと同じなのでしょうか?日本でいうと、お祭りのお囃子ということでしょうか?門外漢の私が、これ以上、説明してもさらに仕様がないので、興味のある方は音楽の教科書で調べてみてください。
さて、「水上のパッサカリア」海野碧著。第10回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作品です。ミステリー文学なので、あまり詳しく内容を紹介すると、これから読まれる方へのお邪魔になるので、主な登場人物の紹介程度に留めたいと思います。
主人公は、大道寺勉。ある事情により、アメリカのサバイバルキャンプで生活し、偽造パスポートで日本に帰国したタフガイ。日本に帰国後、斯波という弁護士の裏稼業として「始末屋」を手伝っていた。「始末屋」といっても、時代劇でおなじみの「仕置き人」とは違って、殺しは行わない。借金の取り立てから始まり、恨みを持つ相手への適当な意趣返しの代行などである。しかし、その稼業からは、足を洗い、菜津という女性とケイトという黒い大きな犬と湖畔の別荘風の家を借りて、自動車整備工として勤めながら、小さな幸せを楽しみながら暮らしていた。
小説は、菜津という女性との出会いやケイトという子犬を拾って育てるなど、何となく影を感じるが、勉(通称「ベン」と呼ばれる。)の小さな幸せな生活に至るまでの生い立ちなどから始まる。
そして、そんな生活が3年ほど続いたが、不意の起こった自動車事故で勉は、菜津を失うことになる。この後、物語は、サスペンスへと大きく動き出す。突然、昔の仲間である斯波が、湖畔の別荘風の家に現れる。そして、ある「始末屋」の仕事に勉を引きずり込む。クライマックスは、この「始末」の周到な段取り、そして、その「始末」の実行。ところが、この「始末」には裏があった。勉に、思いもよらぬ危険が迫ってくる。この辺りが、読みどころです。
サスペンス小説としては、大作です。単行本で350ページしかもフォントが10ポイントぐらいなので、ボリュームがあります。読み始めは、サスペンスとは縁遠い前置きが長くて、何時、クライマックスがやってくるのか。それを追いかけるように、本を読み進んでいきます。これが、作者の術中にハマってしまったということでしょうか。「水上のパッサカリア」のタイトルは、この小説の最後に、勉が、菜津の遺灰とヘンデルチェンバロ組曲第7番ト短調パッサカリアのCDを菜津の好きだった湖に投げ入れるシーンからつけたのでしょう。
海野碧の作品は、この作品が処女作でしょうか。この後に、「迷宮のファンタゴン」という作品を発刊していますが、それだけのようです。生年が、1950年ですから、処女作ということはないと思いますが、テレビドラマ化しても、面白いのではないでしょうか。