くちなしの花

くちなしの花

競馬の上半期の総決算である「宝塚記念」が、「dandy―papaの狙い」の久々の的中で幕を閉めた。◎のメイショサムソンが2着、▲のエイシンデビュテイが1着で、取りあえず馬券的なうまみはありませんでしたが、馬単で的中ということで、拍手!○のアサクサキングスが5着、もうひと頑張りで3着入線してくれれば、3連単も的中ということでしたが、競馬に「・・・・たら、・・・・れば、は付きもの」とは、格言どおりです。これで、これからは、夏競馬。すでに、2歳新馬戦が始まっており、また、来年のダービーに向けて、若駒たちがしのぎを削ります。
夕方の散歩で、「あじさい」と「くちなし」の花が、目につきます。
「くちなし」と言えば、渡哲也のあの歌「くちなしの花」を口ずさみます。

いまでは 指輪も回るほど
やせてやつれた おまえのうわさ
くちなしの花の 花のかおりが
旅路の果てまで ついてくる
くちなしの 白い花
おまえのような 花だった

あじさい」と言えば、同じく渡哲也のあの歌「あじさいの雨」も口ずさみます。

弱い体に かさねた無理を
かくしていたのか 濃いめの化粧
いくども色を 変えながら
枯れて寂しく 散っていく
雨 雨 あじさいの雨に
煙るおまえの 白い顔

両方の歌は、ともに水木かおる作詞、遠藤実作曲です。もう、古い、古い、一世代前のヒット曲です。「歌は世相を表す」と言います。私は、世の中に遅れないようにと、カラオケでは、最近のヒット曲をいち早く取り入れて歌いますが、やや、無理を感じています。どうしても、風呂に入って、口ずさむのは、昔の演歌になってしまうのは何故でしょうか?もうそろそろ、世の中に遅れ出す世代になってきたのでしょうか。
「今様の歌を歌えと言っても、私には歌えません。私には、私の歌があります。」と言って歌い出すのは、鶴田浩二

何から 何まで 真っ暗闇よ
すじの通らぬ ことばかり

死んだ親父が、よく風呂で唸っていました。病院でも、歌うと看護婦さんに「ほめられたよ!」なんて言っていました。「鶴田浩二は、航空機の整備兵で内地にいたが、俺は、外地の中支派遣軍の砲兵隊で馬の世話をしていた。鉄砲を打つことはなかったが、大砲を引っ張っていた。」と鶴田浩二の歌を口ずさむと、そんなことも言っていた。
私は、息子に、歌とともにどんな物語を話してやれるのだろうか?