「号泣する準備はできていた」

号泣する準備はできていた

「号泣する準備はできていた」
江國香織
新潮文庫
平成18年7月1日発行
400円

会社の机に1冊の文庫本が入っていました。平成18年7月1日の発行なので、おそらく、その頃に書店で買い求めて、机の中に入れてそのままになっていたのでしょう。文庫本は、私の20年間の手帳(能率手帳を毎年愛用している)、20冊の中に埋もれていました。
この文庫本は、「号泣する準備はできていた」を含めて12編の短編集です。すべて、大人の女の恋がテーマとなっています。江國香織さんは、あとがきで次のように紹介しています。

短編集、といっても様々なお菓子の詰め合された箱のようなものではなく、ひと袋のドロップという感じです。色や味は違っていても、成分はおなじで、大きさもまるさもだいたいおなじ、という風なつもりです。

「成分はおなじ」ということは、大人の女の恋や大人の女の想いが主題になっているということでしょうか?「色や味は違っていても」とは、それぞれの短編の主人公の生い立ちや環境などが違うということでしょうか?「大きさもまるさもだいたいおなじ」とは、さあ、この辺が解りませんが、単純に小説の質も量もおなじということでしょうか?この紹介のとおりとすると、12編を読むに従って、やや飽きが出てくると思います。事実、数編まで読むと、何となくどの小説のストーリーにも起伏がないので、やや飽きてきました。と言うか、少し、長編ものの小説を読みたくさせるための短編小説でしょうか?
「号泣する準備はできていた」は、2004年の直木賞受賞作品です。

朝、電話で隆志が、私のでてくる夢をみたと言う。二人でクリスマスツリーを買う夢だったと言う。
「でもそのツリーが変なの。木がなくて電飾だけなんだけど。青一色の、こまかい、きれいな電飾だった」
と。
私はたぶん泣き出すべきだったのだ。そんな暗喩にみちたみたいな夢を好きな男がみただけで胸が塞がれるが、それをそんなに真正直に、やさしい声で説明されるなんて大惨事だ。

この小説の冒頭の部分です。さて、主人公は隆志の夢を何故、暗喩にみちたみたいな夢と思ったのでしょうか。何故、大惨事と思ったのでしょうか。と、高校の国語の試験のような冒頭です。その答えは、読者のイマジネーションに任されたまま、最後まで、小説の中には表現されていません。
江國香織さんは、童話集「こうばしい日々」で児童文学作家として注目され、父上は、江國滋さんです。江國滋さんは、私の好きなエッセイストの一人で、「書斎の椅子(正・続」は、お薦めのエッセイの一つです。