オリンピックの歴史

オリンピック

折角、北京オリンピックが開幕したので、時流に乗り遅れないために、オリンピックのことについて、雑感を書き記します。
まず、オリンピック憲章について、ネットで全文を英和訳対比で読むことができます。日本国憲法と比較しても、膨大な憲章が規定されていることに驚きますが、憲法は、国民の権利を国から護持することが基本理念ですが、この憲章は、何を基本理念としているのでしょうか。
オリンピック憲章(OLYMPIK CHARTER)のオリンピズムの根本原則(Fundamental Principles of Olympism)には、「オリンピズムの目標は、スポーツを人間の調和のとれた発達に役立てることにある。その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。」
私が、記憶にあるのは、東京オリンピックからです。オリンピックの後、市川昆監督の映画「東京オリンピック」を学校の行事で鑑賞に行ったと思います。映画の冒頭の映像で、競歩の女性選手のお尻が左右に小気味よく動く様子が、妙に、記憶にあります。
1964年 東京(18回) 小学校5年生 博多に住んでいるとき、テレビの前で棒高跳びの競技の決着がつかずに、遅くまで、観戦していたこと、マラソンで円谷がフラフラになりながら競技場で抜かれて3位になったこと、などを鮮明に記憶しています。そうそう、郵便局に並んで記念切手を買いましたが、手元にないということは、実家のどこかにあるのでしょうか。
1968年 メキシコシテー(19回)
(1970年 大阪万国博覧会) 高校2年生 祖父に博覧会の見物を誘われるが、試験勉強のため断念し、結局、祖父母で大阪に行きました。
1972年 ミュンヘン(20回)大学1年生、1976年 モントリオール(21回)大学院1年生、1980年 モスクワ(22回)入社2年目、1984年 ロサンゼルス(23回)、1988年 ソウル(24回)息子誕生
1992年 バルセロナ(25回)、(1993年 テジョン万国博覧会)、1996年 アトランタ(26回)、2000年 シドニー(27回)、2004年 アテネ(28回)、2008年 北京 (29回)、(2010年 上海万国博覧会
いつの頃からか、開会式の中心が、派手なアトラクションになってしまったのでしょうか。4時間も見ていられません。主役は、選手たちであり、選手の入場行進と会期中に燃え続ける聖火の点火のみで、余分なアトラクションは不要にしたらどうでしょう。中国では、四川大地震で多くの国民が被災しています。為政者が、開会式を質素にして、その資金を被災者の救済に回しますと世界にアピールしたとき、世界は、中国に拍手を送るでしょう。
東京オリンピックの後に大阪万国博覧会ソウルオリンピックの後にテジョン万国博覧会、そして、北京オリンピックの後に上海万国博覧会と、未だ、20世紀型の国威発揚の国家的な行事が予定されているということは、環境保護のために、世界が一つになるには、まだ、まだ、時間が必要となりそうです。