「ひとり旅」

ひとり旅

「ひとり旅」
吉村 昭
文藝春秋
2007年7月30日発行
1,300円(神戸市立図書館)

吉村昭氏は、2006年に亡くなられたので、氏の最後の著作となった随筆、創作ノート及び対談です。「序」は、氏の細君である津村節子さんがお書きになっています。氏は、4度も芥川賞の候補になったそうですが、残念ながら、芥川賞は受賞していません。一方、津村さんは、「玩具」で芥川賞を受賞されています。ちなみに、氏と津村さんは、学習院大学の同窓生で、学生時代からお付き合いがあったようです。
さて、氏は、戦記小説の「戦艦武蔵」で一躍、有名になられました。私も、氏の著作のうち、最初に読んだ小説が「戦艦武蔵」です。その後、歴史小説を、多数書かれていますが、残念ながら、氏の歴史小説は、「ポーツマスの旗」以外は読んでいません。氏の戦記小説、歴史小説は、氏が、この随筆で書かれているように「史実はそのままドラマ」というお考えに従い、徹底した史実の調査に裏付けられています。
「どうして史実だけなのですか」
「史実というものはそのままドラマなのです。史実を忠実に書いているとそれが小説になるのです。」
「戦史小説から歴史小説を書くようになって、定説が史実とちがうことがあるのに驚きました。」
氏の主張する定説が史実とちがう例を2つほど紹介します。
ペリー来航は、幕府は、1年前から知っており、教科書に書かれているように「幕府は大慌てに慌てた」は間違い。幕府は、オランダ政府を通じて、世界の情報を入手していた。「阿蘭陀風説書」には、アメリカの国会で、来年、軍艦4隻を日本に派遣すると決議した、大将はペリーと書いてあるそうです。
薩長同盟は、坂本龍馬が斡旋したことになっているが、そのような史実はない。坂本龍馬は土佐の郷士であり、2国の斡旋などできるわけがない。史実は、下関戦争で四国連合艦隊に惨敗した長州は、長崎に武器の買い付けにいったが、幕府から英国に長州に武器を売ってはならないとの依頼があった。そこで、長州の桂小五郎井上馨は、長崎にいた薩摩の小松帯刀に薩摩の名義で買い付けることを依頼し、小松帯刀は、それを了承した。この武器の買い付けが同盟の発端であり、この一件については、長州藩主から、薩摩への礼状が残っているそうです。
この著作には、「「桜田門外の変」の創作ノートより」と「小説「生麦事件」」の創作ノートより」という講演記録が掲載されており、氏がこの2つ歴史小説を書き下ろすに至るまでの史実の調査などのご苦労を偲ぶことができます。