55歳の誕生日

薔薇

松井秀樹の背番号と同じ数字の歳になってしまいました。「しまいました。」という表現が、一番似合う55年間です。平々凡々と、そして、行雲流水のごとき人生でした。もちろん、これから先も、大きく変わることもなく、「平々凡々」、「行雲流水」の人生を歩むこととなるのでしょう。できれば、人生を全うするときには、「円熟」した人生であったと思えるように心がけたいものです。
年齢は、好きで重ねたわけではありません。誰しも生まれてから、毎年、1歳ずつ積み重ねてきた結果です。子供のころは、早く、大人になりたいと思い、大人になれば、もう、これ以上、歳をとりたくないと思う。でも、そんな思いは、届きません。この世に、タイムマシーンがあれば、過去も、未来も、眺めることができるでしょうが、そんなものはありません。
振り返ってみれば、私の55年間は、大きく分けて、5つの期間に区分されます。今の心根での分け方なので、違った心根のときには、当然、期間を分けるメルクマールも違ってきます。
第1期は、高校を卒業するまでの親、兄弟と一緒に暮らした期間(18年間)親、兄弟と一緒に暮らした期間
第2期は、大学、大学院で司法試験の受験勉強に明け暮れていた期間(6年間)
第3期は、就職して結婚するまでの会社の寮で暮らしていた期間(3年間)
第4期は、細君と結婚して息子が誕生するまでの期間(7年間)
第5期は、息子が成人するまでの期間(20年間)
第6期は、細君との2人の生活に戻ったこれからの期間
面白きことも無き世を 面白く 棲みなすものは 心なりけり
高杉新作の辞世の句ですが、これほど、りっぱな心は持ち得ませんでしたが、この句は、高校時代に読んだ「世に棲む日々」(司馬遼太郎)に書かれており、その頃から、私の記憶の隅に生き続けています。何だか、若いころから、どことなく「枯淡」の想いを持っていたのです。
さて、55歳の誕生日が、こんなに記憶に残る日になるとは思ってもみませんでした。その理由は、私の仲間たちが、誕生日のお祝いをしてくれたからです。私どもの子供のころは、誕生会などという洒落た催しは、もちろん、ありませんでした。友達に、誕生日を祝ってもらうなどとは、55歳にして、はじめての経験です。
まことに、ありがたいことです。実は言うと、私のことだけではなく、私の誕生日とスナックA奈の8年前のオープンの日が、たまたま同じ日だったという幸運もありました。そこで、A奈の常連の仲間たちに、併せて、祝っていただきました。
息子は、成人しましたが、まだ、まだ、大学生です。私が、残せたものは、次の世代を生きていく息子という子孫だけです。この息子に、親父として、どんなメッセージが残せるか、これが、これからの課題です。