泣き虫、papa

田舎の風景

先週は、よく泣きました。
まず、日曜日のNHK大河ドラマ天地人」です。泣き所は、ここです。まだ5歳の幼い与六(のちの直江兼続)が喜平次(のちの上杉景勝)の小姓となり寺で修行中、母を慕って雪の中を実家に向かいました。母は、与六が帰ってきましたが、涙をこらえて、与六を追い返します。与六は、泣きながら、母に訴えますが、母は、家の木戸を締め、与六を家に入れません。ここで、目の中に涙がいっぱいに溜まりました。
そこに、喜平次が、与六を迎えに来ました。泣きじゃくる与六を5歳年上の喜平次が慰めながら、背負って、雪の中を寺に帰っていきます。このシーンで、もうすでに涙は頬を伝って、枕にしていたクッションのうえに落ち始めました。どんな名優の演技も、子役と動物には勝てないとは、よく言ったものです。この与六を演じている子役が、また、かわいらしい。一重の眼から涙を流しながらで、口を真一文字に結んで、母への恋しさを堪えているその顔が、観ている視聴者の涙を誘うことは必定です。
さて、その次は、「そうか、もう君はいないのか」。昨年。このブログでも紹介した城山三郎の哀惜の回想記のテレビドラマです。月曜日に放映され、新聞のテレビ欄を見て、楽しみにしていました。もちろん、この本を読んだときには、読み終わるまでに3度以上は、涙を流しました。そして、また、テレビドラマで涙を流すことになりました。
ドラマは、城山三郎役に田村正和(若き日は、中村勘太郎)、妻の容子役に富司純子(若き日は、長澤まさみ)、長女の紀子(ノンちゃん)役に壇れいという豪華キャストでした。ある夏の日、体調の変調を感じた容子は、人間ドックを受診して、末期がんの宣告を受けます。そのシーンで、最初に眼に涙が溜まります。宣告を受けた容子は、城山三郎の仕事場にやってきます。そんな容子を迎えて、

『緊張し、拳を握りしめるような思いでいる私の耳に、しかし、彼女の唄声が聞こえてきた。
 こちらがこんない心配しているというのに、鼻唄うたって来るなんて、何んというのんきな  と私は呆れ、また腹も立ったが、高らかといっていいその唄声がはっきり耳に届いたとき、苦笑とともに、私の緊張は肩すかしを食わされました。
「おまえは・・・・」
苦笑いして、重い空気は吹き飛ばされましたが、私は言葉が出なかった。
かわりに両腕をひろげ、その中に飛びこんできた容子を抱きしめた。
「大丈夫だ、大丈夫だ。おれがついている」
何が大丈夫か、わからぬままに「大丈夫」を連発し、腕の中の容子の背を叩いた。
こうして、容子の死へ向けての日々が始まった。』

今、本から引用するためにパソコンのキーボードを打っているだけで、ドラマのシーンが映像として頭のなかによみがえってきて、眼がしらがあつくなってきました。

『「おい」と声をかけようとして やめる
 五十億の中で ただ一人「おい」とよべるおまえ
 律儀に寝息を続けてくれなくては困る』

この思いは、私の細君への想いとも同じであり、世の中の多くのご夫婦は、どちらともなく共通の想いをもつているものです。