鼻がムズムズしています

田舎の

高校生の頃。母から「春になると よく 風邪を引くね。」と言われていました。いま 思えば それは、「風邪」ではなく、「花粉症」だったのです。40年近くも 昔の話です。その頃は、「花粉症」という病名もなく、おそらく、私のように、敏感な子供が、春の風邪をひいて、鼻がムズムズして、鼻水を垂らしていたのでしょう。
田舎から上京して大学生活をしていた頃。おそらく同じような症状は出ていたと思いますが、そんなに苦しんだ記憶はありません。やはり、若かったのでしょう。同じ症状が出ていても、あまり気にもならなかったのだと思います。
会社に入社した頃。ちょうど、4月の花粉の最盛期でした。入社した時の直属の上司で隣の席に座っていたYさんが、鼻をグジュグジュさせていて、何時も、テイッシュの箱を手に持って、しきりと 鼻をかんでいました。昼食のために外に出かける時も、2人でテイッシュの箱を持って、2人で鼻をかみながら食事をしていたことを思い出します。
その頃は、鼻詰まりもひどくて、噴霧薬で、鼻にシュッ、シュッと薬を注入しては、会議にも出席していました。噴霧薬は、薬の注入をしたときは、スッキリして気持ちがよいのですが、残念ながら、薬の効き目がなくなると、よりいっそう鼻の詰まりを強く感じるので、随分、お世話になりましたが、いまは、使っていません。
症状が一番ひどかったのは、結婚して40歳前後の頃。鼻が詰まって夜も寝むれなくて、やり場のないイライラを、細君に向けてしまうことも、よくありました。申しわけなかったと思います。洗面器に顔をつけて、鼻からお湯を吸い込んで、口から吐き出したら、鼻の粘膜が強くなるとの記事をみて、試みましたが、鼻血まみれになったので、よすことにしました。鼻洗い機を買ったのもこの頃だと思います。眼がかゆくなり、眼をハラして、眼帯をつけるほど、ひどかったのもこの頃でした。
これ程、春先の「花粉症」に苦しんでいたのに、不思議と薬は、もとめませんでしたが、40歳後半になった頃。細君が、漢方が効くらしいということで、葛根湯加川きゅう辛夷(カッコントウカセンキュウシンイ)と小青竜湯(ショウセイリュウトウ)を求めてきてくれました。薬を飲むのは、私にとっては、やや不本意でしたが、すこしでも楽になることを期待して、この2つの薬をいっとき服用しました。
その頃、亡父から、雑誌の切り抜きが送られてきました。それは、「甜茶」が「花粉症」に効用があるという記事でした。早速、細君が、「甜茶」を探し求めて、このお茶を、飲み始めました。「甜茶」は、いまでも、1年中、細君が夜、沸かして、朝、ペットボトルに入れてくれるのを会社で愛飲しています。
50歳も半ばを向かえた今頃。「花粉症」なるものを発症して、40年近くも過ぎ去って、ようやく、耳鼻咽喉科の門をたたきました。今年は、例年よりも早く、2月初旬には、天気予報で花粉情報が流れ始めました。早速、近所の耳鼻咽喉科に行きす。診察を受けると、私の鼻の穴を覗きながら、先生いわく「おう、もう腫れているね。昨年と同じ薬でいいかな。」「もっと、よい薬があれば、それがいいですけどね。」「うん、それはないから、昨年と同じ薬をだしましょう。」「はい。」というこことで、ペミロラストメルク(化学伝達物質遊離抑制薬)とゼスラン(ヒスタミンH1拮抗薬)を処方していただきました。
この薬を飲みながら、スギ花粉の季節、ヒノキ花粉の季節を乗り切ります。でも、まだ、やり残していることがあります。まだ、アレルギー検査を受けていないことです。