「白洲次郎 プリンシプルのない日本」

プリンシプルにない日本

白洲次郎 プリンシプルのない日本」
白洲 次郎
新潮文庫
平成18年6月1日発行
476円

白洲次郎を知っていますか?白洲次郎の名前は知っていましたが、吉田茂の側近の1人程度の人物であることしか知りませんでした。1月前頃ごろでしょうか。新聞の番組表で、NHKドラマドラマスペシャル「白洲次郎」が放映されることを知り、楽しみにしていました。そして、第1回、2月28日(土)、第2回、3月7日(土)と2週連続して、この番組で「白洲次郎」という人物を知りました。第3回は、8月頃放映予定ということですが、何故、そんなに間が開くのでしょうか?NHKさんよ!連続3回で完結させなければ、視聴者は、半年も待てませんぞ。
私は、待たないので、この本を買いました。NHKの影響でしょう。書店のメインの書棚には、「白洲次郎」に関する本が並んでいます。今更ながら、NHKという国営放送の力を知りました。
白洲次郎 1985年逝去 略歴を紹介すると、1902年、兵庫県の裕福な白洲商店の家に生まれ、神戸一中を卒業後、イギリスに留学。1919年から28年まで、青春時代をイギリスで過ごし、ケンブリッジ歴史学を学ぶ。28年、白洲商店が倒産し、やむなく、帰国。英字新聞社や商社に勤務しながら、吉田茂近衛文麿などの親英米派のブレインとなる。戦後、吉田茂に請われて、終戦連絡中央事務局に勤務して、GHQとの交渉の窓口となるが、決して、政治の表舞台には立たなかった。
この本は、白洲次郎が、1951年から約5年間に文藝春秋などに発表したエッセイを掲載したものです。その内容は、エッセイのタイトルの一部を紹介すれば、推測できると思いますが、戦後の日本の政治、政治家、役人そして日本人への痛烈なる直言です。

・頬冠りをやめろー占領ボケから立ち直れ
・だいなしー借り物民主主義から脱却しよう
・まっぴら御免ー憤懣やる方なきこの頃の世の中
・仏の顔も三度までー他力本願の乞食根性を捨てよ
・政界立腹帖ー一寸一言・八つ当り集     などなど

驚いたことに、このエッセイでの痛烈な直言は、50年を経た現代の政治、政治家、役人そして日本人に対しても、新鮮であり、かつ、通用する内容である。そのことは、日本という国が、50年間、何も変わっていないということなのか?特に、現在の政治家、役人の諸氏には、是非、一読していただきたい。読んで、耳が痛いと感じるか、生意気な奴だと感じるか?

『プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか。日本も、ますます国際社会の一員となり、我々もますます外国人との接触が多くなる。西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。』

白洲次郎は、日米開戦前に、戦争を予想していた。さらに、日米の生産量の差を認識して、敗戦になることも知っていた。さらに、その上は、東京が空襲により焼け野原になるであろうとも、言っていた。そのため、彼は、すべての役職を捨てて、さっさと、東京郊外の鶴川村に戦争前に疎開して、百姓生活をはじめた。それは、敗戦のため食糧難になり、百姓であれば食うに困らないという彼のプリンシプルからの発想であったと思う。