「俘虜記」

俘虜記

「俘虜記」
大岡 昇平
新潮文庫
昭和42年8月10日発行
平成20年4月20日60刷
629円

昭和20年8月15日。今日は、奇しくも64回目の終戦記念日です。この作品は、昭和27年に発行されています。多くの方は、名前は知っているが、読んだことはない。という本の1冊ではないでしょうか。なぜならば、戦記小説は、あまり好まれないことと、長編の大作であるため、読むのに相当の根気が必要だからでしょう。実は、私も、その1人です。
大岡さんは、昭和19年に35歳の年齢にも係わらず、臨時召集という形で、そのまま前線であるフィリッピンミンドロ島に送られました。この戦地において、マラリアに罹患して、隊から分かれてジャングルを彷徨しているときに、俘虜となりました。

『一人の米兵が私の右腕をとり、他の一人が銃口を近く差し向けていた。彼は「動くな。お前は私の俘虜だ」といった。
 我々は見合った。一瞬が過ぎた。そして私は私に抵抗する意思がないことを彼が了解したことを了解した。』

小説の前編は、大岡さんが俘虜になるまでの経緯が、淡々と書かれています。この小説は、読み始めから、大岡さんの俘虜生活の記録であることを読み取ることができます。時代は、35歳の年齢の男を戦争に駆り出しました、その男は、この戦争が負け戦になることを感じていながらも、日本人として、戦争に往かざるを得ませんでした。

=百年読書会への投稿=
「大岡氏は、きっと、当時の知識人として、戦争を肯定してもいなかったし、アメリカとの戦争を楽観してもいなかったのだと思います。日本人として、応召されたので、やむを得ず、入隊し、一人の兵隊として戦地に赴き、そこで、俘虜となってしまった。
この小説では、俘虜としての恥ずかしさ、悔しさ、残念さ、惨めさなど、おおよそ、当時の日本の軍人としてのイデオロギーと思われる「俘虜の不名誉」というような想いが、感じられないからです
最早、太平洋戦争は、昭和28年生まれの戦争を体験していない世代には、歴史の一部、若しくは、小説の世界になってしまっています。それでも、まだ、私の世代は、両親が戦争体験世代のため、時々には、戦時中の話を聞いたことがありますが、それも、物語の世界でした。すでに、日本とアメリカが戦争をしていたことを、「へえ」と驚きで表現する日本人も増えているそうです。」

小説のほとんどは、俘虜としての生活の記録ですが、そこには、なぜか「明るさ」のようなものを感じます。俘虜としての束縛された生活ではあるが、戦争から解放され、これまでの軍隊よりは、着るもの、食べるもの、住むところ、すべてに俘虜生活のほうが恵まれていたからです。それでも、大岡さんは、祖国の戦いと俘虜としての生活に、心の中で葛藤していました。

『祖国が苦闘しつつある時、我々がここで堕落しているのは奇怪であった。いかにも止むを得ない状況であり、これも戦争の一局面には違いなかったが、この状況で我々が生きねばならぬということは、どこか呑み込めぬところがあった。』

いわゆる戦記小説とは、一味違う「俘虜気」を、是非、来年の終戦記念日のころには、一度、読むことをお勧めします。