夕子ちゃんの近道

「夕子ちゃんの近道」
長嶋 有(ユウ)
講談社文庫
2009年4月15日発行
524円

さて、どう評価すればいいのでしょうか?読了後、この小説についての印象が、「ない」のです。登場人物、背景、ストーリーなど、何も印象に残らないのです。第1回大江健三郎賞の受賞作として、大江健三郎の選評が巻末に掲載されていますが、大変な高評価です。大江氏は、「ハテナ」が、この小説の独特な技法のひとつであることを指摘しています。この「ハテナ」の意味が、何も印象に残らないということであれば、小説として、如何なものでしょうか?と言っても、長嶋氏は、「猛スピードで母は」で第126回(2002年)の芥川賞を受賞されており、純文学の期待の旗手だと思います。
まあ、大江氏の小説も、私には、残念ながら記憶に残っていないということは、私には、純文学より大衆文学が似合っているということでしょう。誤解されるといけないので、お断りしますが、私は、この小説を酷評しているわけではありません。この小説の不思議さを感じているのです。そういった意味では、大江氏の「ハテナ」に通じるものがあるのかもしれません。

『フラココ屋の二階に来て一週間になる。部屋には和箪笥が一つ、本棚が一つ、大きな食器棚と鏡台もある。それらが窓際ではなく部屋の真ん中に並んでいる。箪笥の手前に食器棚を置いて、箪笥の中身を取り出すときはどうするのだろうとはじめは思った。すぐにここは倉庫代わりなのだと気付いたが、フラココ屋は西洋アンテーク専門店だから、和箪笥や鏡台があるのが不思議だ。壁際には、号数の大きな、額装された絵画も何枚か、これは薄い布をかけられている。鏡台は押し入れの前にあり、布団を出すのに苦労した。狭い部屋の端に布団を敷くと六畳間はほぼいっぱいになる。』

フラココ屋という西洋アンテーク専門店の二階の倉庫が、「僕」の生活の場であり、ここを中心として、「僕」のささやかな日常の生活が始まります。主な登場人物は、店では何も買わないのに常連の瑞枝さん、店の大家さんの孫娘の朝子さんと夕子ちゃん、店長の幹夫さん、そして、幹夫さんの謎の前カノ?フランソワーズさん。瑞枝さんのことを、すこし紹介すると、瑞枝さんは、フラココ屋の二階の初代の住人でした。

『「寒くない?ここ」瑞枝さんは不意に気付いたように身体をさすり、唇をなめた。
「僕は平気です」
「ストーブ買いなよ」
「大丈夫です。狭いから火事になるとまずいし」お湯が沸いた。小さなコンロのガスをとめる。
「寝るときとか、どうしてるの」
「それは、布団をあるだけかぶって」
キュリー夫人だ」偉人の名を持ち出しながら、からかうような口調だ。テーバッグをいれて、沸き立ったお湯をカップに注ぐ。テーバッグの紐の垂れた、湯気の立つカップを手渡した後で、なんだかわびしくみえることに気付いた。が、瑞枝さんは分かっているという調子でそれを受け取ると、あらぬほうをむいて頷いた。
「ここはつまり、若くて貧乏なものの止まり木なんだな」部屋の隅で瑞枝さんは立ったまま一口だけ飲んだ。』

キュリー夫人だ」の意味は?「ハテナ」。多分、かっぱ巻き状態を比喩しているのだと思いますが、どうでしょうか?大江健三郎賞は、翻訳して海外に押し出すことが主目的なので、「夕子ちゃんの近道」は、フランス、中国、韓国で同時刊行されたそうです。この「ハテナ」どう訳すのでしょうか?