「月島慕情」

月島慕情

「月島慕情」
浅田 次郎
文藝春秋
2009年11月10日発行
543円

浅田次郎さんの短編小説です。「夕映え天使」ほかを読んだあと、本屋さんで文庫本を物色していたら、とっても、レトロな絵のカバーの本をみつけました。「月島慕情」。タイトルもレトロです。そこで、珍しく、同じ作家の小説を、連続して読むこととしました。この本は、「月島慕情」ほか6編の短編小説が収録されています。
月島は、明治時代の埋め立て地だそうです。その場所は、銀座4丁目交差点(和光、三越の交差点)から晴海通りを東京湾方面に南下して、途中に、歌舞伎座築地本願寺を右手に見ながら、勝鬨橋を渡り、清澄通りを左折して、月島橋を渡ると、すぐに、有楽町線大江戸線の「月島駅」に行きつきます。私が、千葉に住んでいたころは、まだ、この大江戸線は開通していませんでした。
そうそう、10年ぐらい前だと思いますが、東京への出張の時、当時、「もんじゃ焼」がブームになっていたので、この月島に「もんじゃ」を食べに行ったことがあります。「月島駅」からは、「もんじゃ通り」といって良いほどに、通りの両側には、「もんじゃ焼」のお店が並んでいました。夕暮れ時は、お客も多くて、入れる店がなかなか見つかりませんでしたが、ようやく、なんとか入れるお店を見つけて入りました。その店で、「もんじゃ」の焼き方、食べ方を、「もんじゃマイスター」のような小父さんに、親切に教えてもらいました。

『親から貰ったミノという名は、好きではなかった。
 明治二十六年の巳年の生まれだからミノと名付けられた。ふるさとの村には同い齢のミノが何人もいたが、一回り上にも大勢いたはずの同じ名前の娘たちは、ミノが物心ついた時にはみな姿を消していた。ひとつ齢上のタツも、ふたつ齢上のウノの場合もそれは同様だから、時代を超えた同じ名の娘はいなかった。』

ミノの村には、雪がとけるころに何人もの人買いがやってくる。行き先のほとんどが、上州か諏訪の製糸工場。器量の良い子は、東京。ミノは、吉原亀清楼で、「生駒」という源氏名をもらった。ミノが、三十路を越えたころ、楼主から、身請けの話を聞かされた。身請けの相手は、贔屓の時次郎さん。時次郎は、月島に住んでいました。

『初見世の時分からずっとかかりつけの髪結いは物知りだった。カネを入れた口を手と一緒に忙しく動かしながら、こんなことを教えてくれた。
「へえ。太夫は月島に嫁に行くのかえ。あすこはね、あたしが子供の時分には影も形もなかったんだよ。海を埋め立てて、大きな島をこしらえたのが明治二十五年。だから最初は、築地のツキの築島だった。築の字は建築の築だから、築地だって埋め立てた土地なのさ。新しくこしらえた島は築島さね。ところがその島の上にぽっかり昇る月があんまり見事なもんで、いつの間にかお月様の島になっちまった。いいねえ、太夫十五夜のお月さんを、月島から眺めて暮すんだ。」』

ミノは、自分の幸せを喜び、身請けの前に月島へ出かけて行きましたが、そこで、ミノは、思いもよらぬ真実を・・・・。浅田次郎さんの小説は、そこはかとなく匂い立つような人情があります。そして、登場人物に優しさと潔さがあります。読んだあとに、温かさを感じるのは、そのためでしょうか。「もんじゃマイスター」の小父さんにも、下町の人情が残っていました。