「いつかは恋を」

いつかは恋を

「いつかは恋を」
 藤田宜永(ヨシナガ)
 講談社
 2007年10月22日発行
 1700円(神戸市立西図書館)

この小説は、恋愛小説ですが、恋愛の主役は、青春を謳歌している十代後半から二十代前半の多感な年頃の若者でも、社会人として落ち着いて結婚適齢期を迎えた二十代後半から三十代前半の大人でも、結婚適齢期を過ぎてやや焦り気味の三十代後半以降のキャリア(女性で言えばアラフォー)でもありません。57歳の古内久美子と同世代の寺坂徹の熟年恋愛なのです。「アラカン」でも、恋はします。アンチエイジングにとって、一番、大切なのは「恋」をすることだそうです。
古内久美子。従業員3人の古内金型の社長。夫が亡くなってから、舅の新蔵の世話をしながら、社長業、母親業、嫁業にフル回転しています。ある日、新蔵が、都内で転んでしまい、その急を知らせる連絡が、久美子の携帯電話にかかってきました。驚いた、久美子は、タクシーをひろって急いで新蔵を迎えに出かけました。新蔵を、見つけて、取りあえず病院へ連れて行こうとしますが、自由を失った男を、女一人で抱え上げるのも大変です。そのとき、タクシードライバーが、親切に、病院まで送ってくれます。もう、お分かりでしょう。そうです。そのタクシードライバーが、久美子の恋の相手、寺坂徹です。

『金型の図面を引くのは非常に難しい。メーカーからきた設計図を、すべて逆にして作らなければならない。右のものは左に、上向きのものは下向きに、二ミリもない突起をうっかりして、そのまま図面に書き込んでしまったら、残りの部分が完璧でも商品にはならない。
 キャドが入る前は、それらの神経を使う仕事をすべて手仕事でやっていたのだ。
「この間、『お久』に飲みに来てた大学教授に聞いたんですけど、キャドが一般的になった頃、アメリカの大学では製図の事業を止めちまったそうですよ。そしたら当たり前の話だけど、設計図が描けない者が増えて、結果、製品の質が極端に悪くなったそうです」
「キャドは自分で図面の引ける人間が使うものってことね」
「その通りです」』

日本の金型産業は、中小企業によって支えられていますが、この金型こそ、あらゆる製品の原型を作り出すものです。この金型産業の担い手が高齢化により少なくなっているということは、日本のもの作り技術が、徐々に荒廃していくということであり、ひいては、製造業の先行きにジワジワと影響を与えてくるということです。この小説では、熟年恋愛の主テーマとは、別に、この金型産業の重要性について警鐘を鳴らしています。

『彼は刑事だった。秘密にするようなことではないのに、なぜ、自分に直接言わなかったのだろうか。別居中らしいが、妻と何があったのだろうか。
 しかし、何であれ、どんどん寺坂に惹かれていく。それは生きている喜びと対をなしてもいたが、不安を呼び起こすものでもあった。長い間、閉ざされていた鎧戸が開けば、柔らかな陽射しが差し込んでもくるだろうが、冷たい雨が吹きこんでくることもある。
 夫には初めから、ときめきを感じたわけではないし、最後は冷え切った関係になってしまったが、それでも、自分の中に正信という男が、否応なく棲みついていたのは確かである。
 夫が死んで何年経っただろうか、と改めて考えてみた。十一年の歳月が流れていた。』

藤田宜永さんは、「愛の領分」で直木賞を受賞されていますが、この小説も熟年の恋愛小説だそうです。「戦力外通告」などもそのジャンルのようです。いわば、熟年小説とでもいうのでしょうか?いま、その2冊を本屋で探しています。なお、推理小説家の小池真理子さんは、藤田さんの奥さんですが、私と同年代のお二人が、夫婦ともに第一線で創作活動を続けておられることは、熟年夫婦として、素晴らしいことです。