「宇宙を孕(はら)む風」

宇宙に孕む風

「宇宙を孕(はら)む風」
 片山 恭一
 株式会社 光文社
 2008年11月25日発行
 1600円

片山恭一さんと言えば、ご存知「世界の中心で、愛をさけぶ」の作者です。この青春恋愛小説は、ミリオンセラーもミリオンセラー、2001年の発売後から2004年の映画化後までに、300万部を売り上げる大ベストセラーとなりました。テレビドラマともなり、映画の主題歌「瞳をとじて」(平井堅)も大ヒット。通称「セカチュー」という言葉も流行語になるほどの人気でした。
この小説の舞台は、片山さんの出身地である宇和島ということですが、映画のロケは、さぬき市や松山市が多く、香川県愛媛県フィルム・コミッションの皆さんの多大なご協力があったと聞いています。ある意味では、フィルム・コミッションの活動の先駆け的な事例だそうです。と言っても、実は、この小説は、本箱にあるのですが、何故だか、読んでないのです。何故でしょうか??同じ頃にベストセラーとなった「いま、会いにいきます」(通称「いまあい」)は、読んで、読んで、泣いて、泣いて、の記憶はあるのですが・・・。

『髪を洗う母親の姿を、いまでも真理子はありありと思い浮かべることができた。片膝を立て、胸までかかる長い髪を丁寧に洗っていた。豊かな黒髪を、精妙な細い指で泡だてながら、やさしくほぐすように梳いていく。真理子は湯船のなかからそれを見ている。髪が指に絡みついてしまわないのが不思議だった。自分の髪に手をやり、真似して触ってみる。しかし短い上に、量も少ない彼女の髪ではうまくいかない。』

真理子の母親が亡くなったのは、6年前の真理子の高校入試の日でした。くも膜下出血という診断で「あっ」という間の出来事でした。いきなり、朝元気だった母親が、いなくなってしまったのです。真理子は、今でも、その現実を受け入れることができないのです。母の死を受け入れられない真理子ですが、今は、大学の数学科に籍を置いて地元の教員試験を受け、教師を目指しています。
真理子は、従兄の曽根崎一平が経営している高校受験の学習塾で講師のアルバイトをしていますが、この小説は、この学習塾で起こる様々な事柄に、真理子と一平が真摯に対応する姿が中心となっています。それならば、学校教育、塾教育などの教育問題に絞れば、小説の軸がはっきりしますが、これに、真理子の母親に対する思いが見え隠れして、主題が、少し、ボケ気味になっているのは残念です。

『「ビルに囲まれた通りでも、たとえ世界の果にいても、ここがどこかわからなくても、立ち止まって顔を上げさえすれば、空が見える。その空のずっと高いところを吹いている風には宇宙が孕まれている。いま自分が歩いているところは、狭くてごみごみしていて、いくら歩いてもどこへも行けない気がすることもあるけれど、視線を上に向けさえすれば、そこにはいつも宇宙を孕んだ風が吹いている。その風を、わたしたちは浴びって生きているんだって」』

この一節は、家出をして阿蘇山中で遭難しかかった「かずみ」を救い出した真理子の「かずみ」へのお喋りですが、真理子が生きることを考えて、自分の考えを「かずみ」に伝えているのですが、何だか、唐突過ぎて意味が伝わりません。片山さん自身が、何だか、言葉に酔っているようですが、小説は、読者に伝えることが大事です。残念ですが、本箱に眠っている「セカチュー」を読むかどうか、迷ってしまう同じ作家の作品でした。