「愛の領分」

愛の領分

「愛の領分」
藤田 宜永
文集文庫
2004年6月10日発行
660円

この頃、思うことがあります。皆さんも気が付いているのでしょうか?わたくし、「恋愛小説」を好んで読んでいるようです。知らず知らずのうちに。昔は、歴史小説経済小説、企業小説が多かったのですが。もともと、サスペンス、ミステリーは、あまり好みではなかったのは、知っていましたが。どうしたのでしょう。高校生の頃は、「桜の園」「アンナ・カレーニナ」「大尉の娘」「初恋」などロシア文学を好んで読んだ記憶はありますが。そうは言っても、サガンを読むほど、乙女チックではありませんでした。
人間は、男と女ですから、小説には、男と女が描かれるわけで、どうしても、そこには、少なからず「恋」、「愛」が描かれるのは、必然ですが、「恋」「愛」を主たるテーマとした小説を「恋愛小説」と呼ぶのでしょうが。そうなのです。この小説も、ジャンルは、「恋愛小説」です。しかも、中年の恋愛です。藤田さんは、中年の年代の恋愛をテーマにした小説の旗手的な存在です。どうも、この年になって、恥ずかしながら「恋愛」への憧れが芽吹いてきて、小説というバーチャルな世界で現実では起こり得ない「恋愛」に浸っているのでしょうか?「それって、あぶなくない」って思う今日この頃です。

『吹き降りが屋根を激しく叩き、中空をくぐもった陰気な音が走っている。暮れかけた空が、一瞬、黄金色に割れた。春雷である。
 淳蔵は稲光につと目を上げた。裏の家の塀から張り出したサンシュユの枝が揺れ、小さな庭に、黄色い花びらを散らせていた。
 淳蔵は肩入れの真っ最中だった。
 背から肩へ、襟から肩へと生地のくせを取ってゆく。淳蔵が使っているのは、若い頃から慣れ親しんできたガスアイロンである。』

小説の書き出しの一節で、春雷の描写から始まります。最後に、「春雷である。」とわざわざ解説していますが、その必要はなかったかもしれません。「サンシュユ」の花ってしていますか?調べました。春に黄金色の小さな花を咲かせ、秋には赤い実をつける低木です。白い花を咲かせるヤマボウシハナミズキと同じミズキ科ですが、花の大きさが違うようです。なぜ、「サンシュユ」の花を書き出しにつかったのかという疑問を抱えながら読み進みましたが、判りませんでした。結局、藤田さんの好きな花だったのかもしれません。
小説の書き出しは大切です。『雪国』は「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」、という書き出しで始まりますが、これは、あまりにも有名です。さて、いかにも中年っぽい名前の淳蔵が、この小説の主役です。東京で仕立屋を営む淳蔵の店に、突然、かつての親友高瀬が訪ねてきました。そして、高瀬の妻である美保子に逢ってほしいと持ちかけます。美保子は、昔、淳蔵が想いを寄せていた女性でしたが、何故、高瀬は、探偵まで使って35年ぶりに淳蔵を探して、そのような依頼をしたのか?

『「‘美しい徒労‘って言葉、覚えている?」美保子がつぶやくように言った。
「さあ」淳蔵は首を傾げた。
「忘れたの。「雪国」の中に出てくる言葉よ。駒子が、自分にひたむきな想いを抱いているのが分かった島村は、それを‘美しい徒労‘って思うシーンがあったでしょう」
「申し訳ないが、よく覚えていません」
「冷やかな心の持ち主である島村は、そんな駒子の愛を受け取ることができない。受け取ってやれない人間から見れば、駒子の島村に対する態度は、‘美しい徒労‘でしかないでしょう」
「それが・・・・」
美保子が低い声でつぶやいた。
「私のは醜い徒労だったわね」』

あなたも中年の恋愛に浸ってみませんか?この小説は、直木賞受賞作品ですが、藤田さんは奥様の小池真理子さんから5年遅れで、受賞されて、これで、直木賞のご夫婦での受賞となりました。文庫本で450頁の大作ですが、こういう雰囲気の小説は、好きですね。