「当社別状なし」

tetu-eng2010-10-31

「当社別状なし」
城山 三郎
文春文庫
2010年7月10日発行
660円

先週の水曜日、伊予西条の伯父さんが亡くなったとの知らせあり。金曜日に忌引きをとって、葬儀に参列。96歳の大往生とのこと。伊予西条の伯父さんの家に遊びに行ったのは、小学校4年生の夏休みでした。あれから、45年が過ぎて、小さかったころの記憶の端にある残像とは、すべてが変わってしまっていました。神戸から、車で片道3時間のドライブでしたが、息子に運転を依頼して、久しぶりの「おやじと息子」の会話が弾みました。これは、伯父さんのプレゼントだったのでしょう。車の中では、お互いに顔を見合さないため、普段以上に会話が弾むそうです。
城山三郎さんは、数年前に亡くなったにもかかわらず、本屋で文庫本の新刊と思っていたら、1977年に刊行した文庫本の新装版ということで、ちょっと、がっかりです。33年前といえば、ちょうど、就職した頃で、城山三郎さんの経済小説を、漁るようにして読んでいましたが、この本は、読んだ記憶がなかったので、それは、それで、ラッキーだったのでしょう。何せ、最近、読んでいるうちに、「あれ、これって、読んだことある。」なんて、ことが時々あるのには、やや、ショックを受けます。もう一度、読んでみようという意識的な再読であればいいのですが。

『中丸富五郎は、尾川を上座に押し据えると、その前に正座し、一礼して言った。
「どうも御苦労さんでございました」
二十貫を楽に越すと思われる体の重み厚みで、折られた膝が見るからに窮屈である。
尾川は、あぐらをすすめ、自分も坐り直した。
冷えたおしぼりを使いながら、部屋の中を見廻す。
太い木組み、磨き立てられた床柱、細かな透彫りの入った欄間、贅を尽くした建物である。この地方きっての山林地主の邸を中丸が買い取り、会社のクラブに使っているのだという。』

中丸富五郎は、小さな地方都市で、鉄工所、運輸業、織物業など手広く事業を展開していた。しかし、会社を発展させるために、鉄工所を基盤として、製鉄事業を拡張しようとする。そのため、日本で屈指の製鉄会社の技術者である尾川に工場診断を依頼した。中丸は、尾川の診断どおり、大規模なリストラを実施し、工場の効率化を図るとともに、強引な引き抜きで、尾川を中富重工の常務に迎える。会社を私物視しながらも、中丸の強引な経営は、時の高度成長期と併せて、会社を、大きく成長させていくが、やがて、そこに、大きな落とし穴があった。

『人材に食指を動かすのは、どの企業者もやることなのだが、狙った以上、からめ取らずにはおかないところが、中丸はちがっていた。
<注文は取りにくいが、人材は取りやすい>
 中丸は、実感としてそう思った。
 義理人情・待遇など、いくらでも攻める手はある。押して行けば、ほとんどの「人材」が、意外なほど、もろかった。中丸は、高貴な獣を狩猟しているような楽しみさえ感じた。
 人材は、中富重工の発展の推進力となる。』

人材の確保は、中丸の成長戦略の重要な要素であった。これと思った人材には、破格の待遇で迎えたが、不要となった場合の切り捨て方もオール・オワ・ナッシングの彼の人生観そのものであった。高度成長期の企業の強引な成長戦略を「社長の会社の私物化」という視点で、するどく切り込んだ城山三郎さんのエンターテイメント的な経済小説でした。40年前の小説のため、時代感覚にやや古さを感じますが、それは、それで、仕方ないとは思いましたが、やはり、物足りなさを感じたというのが率直な感想です。