「透光の樹」

tetu-eng2010-12-26

「透光の樹」
高樹 のぶ子
文春文庫
2002年5月10日第1刷
2010年2月 5日第11刷
500円

子供手当から給食費、保育費の未納分を控除するそうです。そんなことなら、子供手当なんぞ止めてしまえと言いたい。これで、地方公務員の仕事がまた増えるのです。初めから、給食費、保育費を無償にしてしまえばいい。と言っても、食べること、子供を育てることがタダとなれば、人間は、何のために働くのでしょうか?今の政策は、人間の働くという尊厳を破壊しつつあるのではないでしょうか。政策は、哲学でなければならない。哲学のない政策は、国民を不幸にする。何てことを、考えながら、極めつけの恋愛小説に耽っている小生は、如何ほどの人間か?「我思う故に、我あり」??

『相手に何を言っても構わない、怒らせることもない、信頼というほどのものではないけれど、何十年も付き合って気心が知れたような馴染み方が、ほっと、ひと呼吸のうちに出来上がってしまう、それが男と女の間に起きたのであれば、恋だろう。当人がそんな気恥ずかしい言葉を忌避しようが、そんな言葉が小説や映画以外の場所にだって在ることを、認めないでいたとしても、やはり恋ということになる。』

今井郷は、テレビの制作プロダクションの社長。47歳。二十五年前、当時、ADだった郷は、鶴来の街で、刀鍛冶の流れをひく男を追いかける番組に携わった。今、金沢を訪れた時、その男に逢いたくなった。その男は、山崎火峯。当時、六十歳ぐらいだったので、すでに亡くなっているかもしれない。その番組の撮影のときに、セーラー服の少女が、火峯の傍にいた。名前も知らないが、妙に、気にかかっていた。こういった、設定で物語は始まりますが、読み出しから、ちょっと、無理があるような違和感が、この小説にはありますが、まあ、小説というものはコジツケから始まり、それを必然に丸めこむモノかもしれません。
その少女の名前は、山崎千桐。郷は、鶴来の火峯宅を訪れて、そこで、千桐と再会する。千桐は、離婚して出戻り、年老いた火峯の介護に没頭する貧しい生活を送っていた。郷は、千桐と当時の思い出話をしているうちに、自分が鶴来に来たのは、火峯に逢いたくなったのではなく、この千桐という女に魅かれていたことを確信した。郷は、千桐に金銭的な支援を申し出た。

『俺の下心は、いったいいくらにつくんだ。
 恋心、と呼ぶより下心にしてしまった方が、郷には気が楽だった。
 本人は自覚していないのだが、自分の感情に照れてしまうと、卑しい仮面を被って安堵する癖が、郷にはあった。それで、下心下心、と呟きながら、自分の身内に起きているときめきを、さかんに足で踏みつけていたわけだが、ふいに現実のものとなった千桐の肉体への男としての動揺は別にしても、彼の感情は、千桐を援ける具体的な方法が見つかったことを、素直に喜んでいたのだ。
 世間の見方からすれば、郷の罠にかかった千桐、となるのだろうが、下心下心と呟いている割には郷にその実感はなく、むしろ甘い罠に捕まった未熟な獣のように、高揚し、気持を弾ませ、自分を見失って途方にくれているのは、四十七歳の彼の方だった。』

これから、二人の恋を激しく燃え上がり、逢瀬を重ねるたびに、その深みに入っていく。やがて、二人に悲劇が訪れます。恋は、人格をも破壊してしまうエネルギーがあるのか?小説は、ポルノ小説のような(読んだことはないが)セックス描写もあり、電車の中で、恥ずかしくなる場面もありますが、谷崎純一郎賞を受賞した恋愛小説です。「恋というのは下心、愛というのは中心」なんて歌の文句に言いますが、今年最後の「読書雑感」が、高樹のぶ子の恋愛小説だったのは、私の今年の読書の嗜好を象徴したようです。