「人生論ノート」

tetu-eng2011-02-13

「人生論ノート」
三木 清
新潮文庫
平成16年2月20日第98刷
昭和29年9月30日発行
380円

この本は、ベッドのまくら元に置いています。時々、ベッドの中でページをめくる「人生論ノート」を紹介しましょう。三木清先生。現在の兵庫県の龍野に生まれて、京都大学で、西田幾多郎に師事。ドイツ留学時にハイデッガーの影響を強く受ける。帰朝後、マルクス主義に刺激され、独自の三木哲学を模索する。その後、思想活動を活発にするうちに、治安維持法違反で投獄され、そのまま、戦後直後、昭和20年9月、拘置所で獄死する。享年48歳の短すぎる人生でした。三木哲学は西田哲学への入門として、有名であり、「哲学入門」「人生論ノート」は、広く、読まれています。私も、高校時代に、岩波新書の「哲学入門」をカバンの中に忍ばせていましたが、あくまで、忍ばせていただけです。
4年前、本屋さんで本を物色しているとき、新潮文庫の「人生を考える本」のシリーズの中で、この本を見つけました。代表作「善の研究」の西田幾多郎は、京都の「哲学の道」が、西田が散策したことから名づけられたと言われるほどの日本を代表する哲学者ですが、三木清の名前は、もう、私の記憶からは消えかけていました。ただ、手にとってめくってみると、「ああ、西田哲学の三木か。」と、高校時代に格好つけに持ち歩いていた本のことを思い出しました。この年になって、哲学なんてと思いながらも、何となく、買い求めました。

『幸福について
 機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である。』

「死について」「幸福について」「懐疑について」「習慣について」など26題について、三木ワールドが広がります。論説のすべて、何度も、何度も、繰り返して読むことにより、何となく、三木ワールドに引き込まれていってしまう。三木ワールドは、純粋です。潔癖なぐらい純粋です。そして、この純粋な思想は、時代を超えて生き続けることができます。この本は、60年以上も前の1947年の著述です。それにもかかわらず、とても、新鮮に感じるのは、人の生活環境は、とんでもなく変わっても、人の心の中は、変わることがないということでしょう。ひょっとすると、ローマの昔からそうなのかもしれない。

『嫉妬について
 もし私に人間の性の善であることを疑わせるものがあるとしたら、それは人間の心における嫉妬の存在である。嫉妬こそベーコンがいったように悪魔に最もふさわしい属性である。なぜなら嫉妬は狡猾に、闇の中で、善いものを害することに向かって働くのが一般的であるから。

 どのような情念でも、天真爛漫に現れる場合、つねに或る美しさをもっている。しかるに嫉妬には天真爛漫ということがない。愛と嫉妬とは、種々の点で似たところがあるが、先ずこの一点で全く違っている。即ち愛は純粋であり得るに反して、嫉妬はつねに陰険である。それは子供の嫉妬においてすらそうである。』