「浅草のおんな」

tetu-eng2011-04-10

「浅草のおんな」
伊集院 静
文藝春秋
2010年8月10日第一刷発行
1600円(神戸市立西図書館)

『志万(しま)は浅草で暮らして四十年余りになる。天草の島を出たのが十七歳の冬だった。その歳月が長いのか短いのか志万にはわからない。夢中で生きてきたらそうなっていただけのことである。
 ミュウガの香りが鼻を突く。ミョウガを冷蔵庫に仕舞い、ぐい呑みの盃が入った竹籠をカウンターの上に出した。
 カウンターが七人、小上がりに三人、浅草の“志万田”はそれっきりの子店である。都合で客に我慢してもらっても十一、二人がやっとの大きさである。女が一人で切り盛りするにはそれが限度だ。手伝いの娘を入れたこともあるが志万の方が気を遣って疲れてしまう。五年前、連れ合いの大江留次が亡くなってからは一人で気楽にやっている。一見の客はめったに入って来ない。』

志万は、浅草の小料理屋“志万田”の女将さん。歳は、五十を、とうに超えていますが、女っぷりと艶やかさは、男の目を引く。店は、志万の手作りの料理と人柄に惚れた常連客で賑わっています。屋台船の三代目、骨董屋の甲子(きのえね)、大学院生の頃からのカッチャン、保険屋の所長さん、女事務員、靴工場の職人さん、鉄骨工事の親方など、“志万田”の贔屓の客は、様々です。特に、三代目と甲子は、志万に結婚を申し込むほどの入れ込みよう。志万は、「こたえ」が出せません。
そんな時、白髭橋から女の身投げ。屋形船から三代目が飛び込み、女を救います。どういう事情か?志万は、自分の身の上に重ね合わせて、その女なのことが気にかかり、ついには、その女、美智江を引き取り、“志万田”を手伝わせることとなりました。三社祭り、隅田の花火大会、鬼灯市(ほおずき)、浅草下町の情緒、風情が満載。下町の人情と心意気があふれています。

『十二時を回って、客は三代目とカッチャンと義弟の三人になった。
 美智江は小上がりを拭いている。汗でブラウスが背中についている。
 三代目はぼんやりともの思いに耽っている。
 「義兄さん、花火、最高でしたね」
 「あの花火はね、ドーンと空に上がるでしょう。そうしてボクの、ほらっ、ここよ。こころ、こころの中に入って行くんです」
 「そいでこころに入ってどこに行くんでしょうか」
 「君は浅草って街がわかってないね。この街で見た綺麗なものも醜いものも、すべて、あの川の水とともに流れて行くんですよ」
 志万は手を止めてカッチャンの顔を見た。
 小上がりにいた美智江も振り向いてカッチャンを見ていた。
「カッチャン、いいことを言うね」
三代目がカッチャンの盃に酒を注ぎながら言った。』

伊集院静さんは、四十前に、当時、人気抜群の女優夏目雅子と再婚したプレイボーイというのが、強烈な印象です。夏目雅子が、27歳の若さで急性骨髄性白血病で死去した後、篠ひろ子と再婚。世の男性の羨望の的となりました。小説、作詞、コンサートや舞台の演出など多才の持ち主のようです。この小説「浅草のおんな」は、そんなプレーボーイならではの艶のある内容でした。読了後、ついつい、「よお!“志万田”の女将、いい女だね!」と声をかけたくなります。