「あの日にドライブ」

tetu-eng2011-04-24

「あの日にドライブ」
 萩原 浩
 光文社文庫
 2009年4月20日初版1刷発行
 650円

今年になって、萩原浩さんの小説は、3冊目です。「明日の記憶」「神様からひと言」そして「あの日にドライブ」。作家には、それぞれの特徴があります。シンガーソングライターでも、同じです。その特徴が、パター―ン化していると、どうしても、やや食傷気味になってしまうのは、仕方がないことでしょう。「明日の記憶」は鮮烈な印象を受けたのですが、あと2作は、作品の構成に、少し、無理があるように感じました。読む順番が、逆だったら、印象は変わったのかもしれません。

『自動ドアを開け、客を乗せたとたん、腐った柿の匂いが車内に満ちた。
 他人の酒の匂いは臭い。タクシーの運転手になるまで、そんなことも忘れていた。少し前までは、自分も夜は酒を飲み、帰りが遅くなればタクシーを使う人間だったからだ。
 まもなく午前一時。この時間に乗せる客はたいていが酔っているから、いちいち気にしていたら仕事にならないのだが、しらふで運転している身には胸が苦しくなるほどのアルコール臭に、いまだに慣れることができずにいる。鼻から息をしないようにして、後部座席に声をかけた。
「お客さん、どちらまで行きましょう」』

おととしまでは、牧村伸朗は、都市銀行に勤める銀行マンでした。縦社会の厳しい銀行で、ある時、支店長に言ってはならない「ひと言」を言ってしまいました。そのため、コースを外れて、結局は、銀行を退職することとなりました。退職したときは、公認会計士になって、コンサルタントでも、始めるつもりでしたが、世の中、そんなに甘くはありません。妻の目もあり、とりあえず、タクシードライバーとなります。

わかばタクシーの一日のノルマは五万円。ベテランドライバーの話では、バブルの頃は道にさえ出れば、おサルの電車のおサルでも稼げた金額だそうだが、いまでは、伸朗にかぎらずノルマを達成してくる人間のほうが少ない。不況が客を減らし、失業がタクシー運転手をふやしているからだ。悪循環。新規のタクシー会社の参入を容易にした政府の規制緩和策が、それに拍車をかけている。
 たとえ毎回、ノルマを達成したところで、月収は三十万そこそこ。なにせ「四十五万円可」を誇らしげに掲げる業界だ。この三カ月でタクシードライバーがどれほど割に合わないかを、伸朗は身をもって知った。どうせ一時の糊口しのぎなのだから、さっさと見切りをつけて、違う仕事を探したほうがマシ、とも思うのだが、なかなか思い切れない。』

伸朗は、タクシードライバーをやりながら、「もう一度人生をやりなおすことができたなら」という妄想に駆られます。そんな妄想の一つに、学生時代の彼女とやり直せたら、という想いがあり、彼女の実家、桜上水辺りを、タクシーで徘徊します。桜上水京王線の沿線です。実は、私が、学生時代、5年間、住んでいた街です。そんなことで、この小説に、急に親しみを覚えてきました。それでも、伸朗は、少しずつ、タクシードライバーとしてのノウハウを会得して来ますが、さて、その結末は。

『環八から脇道に入り、荒玉水道道路に出て、一昨日とは逆方向から桜上水をめざす。学生時代、友人から借りたクルマで、一度だけ恵美とドライブに出かけたことがある。その帰りと同じルートだ。
 海へ行った帰りだった。クルマはマツダ・コスモ。当時はちょっとおしゃれなクルマの定番。カーステレオから流れる曲は、松任谷由美。これも定番。あの頃は、人と違って見られたいのに、人と違ってしまうことが、怖かった。』