「砂の上のあなた」

tetu-eng2011-09-19

「砂の上のあなた」
白石 一文
新潮社
2010年9月30日
1700円(神戸市立西図書館)

『「あの、西村さんのお宅でしょうか」
まったく聞き覚えのない声だ。
「はい、そうですが」
電話口の向こうではほっとしたような気配がする。
「失礼ですが牛島美砂子さんでいらっしゃいますか」
旧姓で名前を呼ばれたとたんに閃くものがあった。仮眠する前に久々に思い出していた高遠耕平の懐かしい顔が脳裏をよぎる。こちらが黙ってしまうと相手もそれ以上、言葉を重ねてこなかった。
「あの、どちらさまですか」
五秒ほど待ってから口を開く。
「実は・・・・」
恐縮しきったような声になって電話の向こうの男がようやく話し始めた。』

35歳の主婦 美砂子にかかってきた見知らぬ男からの電話。まさか、亡くなった父 牛島周一郎に愛人がいたなんて、あの謹厳実直な父に。美砂子は、信じられませんでした。しかし、父が、東條紘子あてに残した手紙は、父の筆跡に間違いありません。その手紙には、紘子が亡くなった後は、父の骨を分骨して、紘子のお墓に埋葬することを三女の美砂子に依頼する旨が書かれていました。その手紙を、持参したのは、紘子の息子と名乗る鎌田浩之という先程の電話の男でした。美砂子は、戸惑いを隠せませんが、母親と二人の姉には相談せずに、東條紘子の骨壷に父の骨を分けることとしました。
小説は、まるで、ミステリーのような始まりです。が、まったく、違います。この始まりから、美砂子の周囲の人たちの人間関係が、次から、次へと、広がりを見せます。父には、母と結婚する前に、亡くなった妻と娘がいること。娘の名前は、美砂子ということ。亡くなった妻と。美砂子の夫 西村直志が姻戚関係であること。東條紘子と美砂子の分かれた彼氏 高遠耕平が、姻戚関係であること。など、など。美砂子は。鳥取、熊本と、自分の知らなかった人間関係を調べたくて、行けども、行けども、連鎖のキレない運命という大きな「うねり」を追い求めます。
小説は、人間模様に悩む美砂子の苦悩に終始しますが、ちょっと、小説の設定が乱暴な気がします。1億2千万人の日本人の間で、人間の血縁関係、姻戚関係の連鎖が、左程、繋がるはずはあり得ません。そういった意味では、一種のミステリーかもしれませんが、著者は、それをミステリーとは捉えずに、「愛」と「縁」のスパイラルの中に閉じ込められた美砂子の苦悩をテーマとしようとしています。読み終わってみて、さて、小説のモチーフは、何だったのか?という疑問が残りました。長編小説ではありますが、少し、無理矢理に、ウロウロとし過ぎたのではないでしょうか?著者の直木賞受賞後の力の入った第1作でした。

『美砂子さんが子供を産みたいと心から望んでいるのは、俺に言わせれば、とんでもない錯覚にすぎないことです。美砂子さんはきっと一人の人間を産む、誕生させるということにものすごく大きな価値を感じてしまっているんですよ。どうせ自分同様にさほど面白くも楽しくもない人生を送るしかない、何ほどの価値もないような人間を作り出すだけの行為をものすごく貴い作業のように勘違いしてるんです。
それはな、一言で言うと、美砂子さんが誕生と死というものを一つのもの、一つのつながりとして捉えてしまってるからなんですよ。
俺たちは死すべき運命を背負わされて生きてます。』