「とんび」

tetu-eng2011-12-18

「とんび」
重松 清
角川文庫
平成23年10月25日発行
660円

重松清さんに、やられちゃいました。朝・夕の地下鉄に座って、この本を開いて読み出すと、涙がにじんできて、そのうちにこぼれ出します。ハンカチを取り出して、目尻をぬぐいますが、鼻水まで出てきて処置なしです。周りのお客さんは、おそらく見て見ぬふりをしているのでしょうが、何事と思っているのか?いい歳の小父さんが、文庫本を読みながら、涙を流しているのは、まったく滑稽な姿でしょう。仕方がありません。重松清さんにやられちゃたのですから・・・。

『昭和37年、夏の終わり−−二十八歳のヤスさんは、生涯最高の幸せに包まれていた。
 三月に、妻の美佐子さんの妊娠がわかった。結婚三年目にして待望の懐妊だった。
 出産予定日は十一月十日。いまは九月の初め。
 先週−−三輪車を買ってきたヤスさんは、美佐子さんに叱られて、デパートに返しに行った。』

ヤスさんは、瀬戸内の小さな町、備後市で運送会社に勤めています。ヤスさんは、物心つく前に母親と死に別れ、父親は、ヤスさんを、伯父夫婦に預けたまま音信不通になりました。ヤスさんは、両親を知りません。美佐子さんも、九歳の時に両親を広島の原爆で亡くし、親戚をたらい回しにされながら、育ちました。そんな二人が、夫婦となって、今、親になろうとしています。

『ヤスさんは、担架に乗せられた美佐子さんが分娩室に入ったあと、廊下の長椅子にへたりこんでいるときも、ひたすら祈った。祈るしかなかった。
「おい、ヤス、しっかりせえよ!」
「ヤス、安心せえ。照雲がいま、護摩堂で親父さんと一緒に安産祈願をしとるげん」
「・・・・ナマグサのアホ、間違えて引導を渡すお経を読んどるんと違いますか?」
 精一杯の憎まれ口をたたいても、声の震えは隠せない。
 やがて分娩室の前は、ヤスさんの遊び仲間や飲み友達であふれ返った。』

生まれた子供は、「アキラ」。小林旭「旭」と名付けられました。

『昭和37年10月。
 ヤスさんは父親になった。
 予定日より二週間以上早く生まれたアキラは、体重こそ二千七百グラム足らずだったが、元気な赤ん坊だった。
「とんび」と「鷹」の長い旅が、始まった。』

昭和41年の夏。突然、3人家族は、二人になりました。小さな命を守るために、優しい命が奪われたのです。そして、長い、長い、父親と息子のお話の始まりです。ここまで、ご紹介すれば、私が、ハンカチを離せない理由(わけ)が、お分かりになったでしょう。私は、泣き上戸です。テレビを観ても、よく泣きます。「妻と私」(江藤淳)「そうか、もう君はいないのか」(城山三郎)などのこれまで呼んだ本でも、よく泣きました。でも、最高に泣きました。いや、この本は、読者を泣かす本なのです。是非、泣いてみて下さい。