「下山の思想」

tetu-eng2012-02-19

「下山の思想」
 五木 寛之
 幻冬舎新書
 2012年12月10日第一刷
 2012年 1月15日第四刷
 740円+税

五木寛之さんと言えば、40年前、「モスクワ愚連隊」「青春の門」などの作品で鮮烈なイメージがある作家です。そういえば、「愚連隊」などという言葉は、いまでは、「死語」でしょうか?今は、徒党を組む不良仲間は、何と言うのでしょうか?「チンピラ」?単に、「不良グループ」?「愚連隊」という言葉には、少し、違う意味があるような気もします。「青春の門」は、筑豊の炭鉱街を舞台としてスタートした青春物語。映画では、織江役の大竹しのぶさんの清新な演技が思い出されます。とにかく、この作品は、小説、映画、テレビドラマ、コミックと、あらゆるメデイアでヒットしました。
そんな人気作家の五木さんには、失礼ですが、五木さんの作品が、歳と共に宗教的な色彩なるものが色濃くなって来たようです。やはり、人間、ある程度の年齢を経ると、人生なるものを考えるようになるのでしょう。最近は、まだ、読んでいませんが「親鸞」やエッセイの「林住期」(これは読みました。)がベストセラーになっています。そして、今、「下山の思想」が新しくベストセラーになっているようです。これは、エッセイなのでしょうが、まあ、内容は、「林住期」とも重なっているようです。作家の晩年には、おおむね、これまでの作品の内容をリメイクして、また、出版するというのは、世の常でしょう。

『戦後六十数年、私たちは上をめざしてがんばってきた。上昇する。集中する。いわば登山することに全力をつくしてきた。
 しかし、考えてみると登山という行為は、頂上をきわめただけで完結するわけではない。私たちは、めざす山頂に達すると、次は下りなければならない。頂上を極めた至福の時間に、永遠にとどまってはいられないのだ。
 登ったら下りる。
 私たちの時代は、すでに下山にさしかかっている。そのことをマイナスと受けとる必要はない。実りある下山の時代を見事に終えてこそ、新しい登山へのチャレンジもあるのだ。』

 「下山の思想」とは、面白いネーミングです。戦後の復興期から高度成長期を経て、オイルショック、バブル景気などの浮き沈みを繰り返しながら、日本は、世界第2位の経済大国に成長した。五木さんは、この道を登山に置き換えました。確かに、日本は、頂上を極めたのかもしれません。今、失われた10年が、やがて、20年になろうとして、不景気感は、日本中に充満しています。昨年は、大学生の就職内定率は戦後最低だったそうです。私の経験したオイルショックの時よりも、さらに悪かったということです。そんな時代に、悪あがきはせずに、上手に下山をしようと言う。そうすれば、新しい何かが見えてくる。比ゆ的には、そうなのでしょう。現在の国民総うつ状態の世の中には、こう言った生き方としての「精神的な心構え」が必要なのでしょう。

『下山の時代が始まった、といったところで、世の中がいっせいに下降しはじめるわけではない。長い時間をかけての下山が進行していくのだ。
 戦後半世紀以上の登山の時代を考えると、下山も同じ時間がかかるだろう。
 しかし、下山の風は次第にあちこちに吹きはじめている。いつか人びとは、はっきりとそのことに気づくようになるはずだ。』