「萩を揺らす雨ー紅雲町珈琲屋こよみー」

tetu-eng2013-03-03

「萩を揺らす雨ー紅雲町珈琲屋こよみー」
 吉永 南央(なお)
 文春文庫
 2011年11月15日第9刷
 552円(税抜)

『杉浦草(そう)は、・・数えで七十六になる。』

主人公は、数えで七十六歳(満でいえば七十五か、四)のおばあちゃん。後期高齢者の一歩手前です。主人公が、後期高齢のお年寄りという小説は、ちょっと、めずらしいかもしれません。どういう話の展開になるのか、興味がありました。帯には、「小粋なおばあちゃんが解き明かす「日常の謎」とのこと。

『高い天井に太い梁と漆喰の白が印象的な古民家風の造りの「小蔵屋(こくらや)」は、和食器とコーヒー豆を商っていて、コーヒーの試飲、つまり、無料でコーヒーを一杯飲めるサービスが評判の店だ。店の奥が草の住居にもなっており、小蔵屋は、河原と観音像が立つ丘陵の中間地区、紅雲町(こううんちょう)にある。』

小蔵屋は、お草の祖父が開いた日常雑貨店が始まりで、以来、お草の父母が引き継ぎました。二十九歳で離婚して実家に出戻ったお草は、家業を手伝っていましたが、父母は、立て続けに亡くなり、お草が六十五歳の時に、人生の最後に好きなコーヒーと和食器の店を持つという夢を実現させたのです。

本書は、5編の連作短編です。「紅雲町のお草」「クワバラ、クワバラ」「0と1の間」「悪い男」そして「萩を揺らす雨」。こういった小説を、どう説明していいのか?解りませんが、お草の周りでの出来事に、お草の人生を絡めて、そうだ「生き方」を暗示するような?いあや、違うな!とにかく、川の流れに笹の葉を浮かべて、ゆらゆらと流れているような小説です。って、さっぱり、解らないですね。まあ、とにかく、読んでみてください。ちょっと、浅田次郎の短編の世界風(ふう)かもしれません。結構、私の好きな雰囲気を持った小説です。

『「わたしもね、昔は自分を強いと思っていたけど・・・・若いうちに、戦争は起きる、兄も妹も亡くす、離婚する、息子も三つで逝ってしまう。年を重ねたって、雑貨屋だった店も振るわなくなる、家族が病気になる、両親を看取る。生きていると、どうしてか大変なことが多くて」
 襖を正面にして座っていた宇島が、黙ったまま大きくうなずいた。
「弱いと認めちゃったほうが楽なの。力を抜いて、少しは人に頼ったり、頼られたり。そうしていると、行き止まりじゃなくなる。自然といろんな道が見えてくるものよ。」
 柱時計がジーと音を立て、鳴る準備をする。
「そうだな」
 話し始めた宇島は、時計が鳴り終わると言った。
「筋肉は、運動で壊れた組織を再生して強くなる。考えてみれば、気持ちも同じだ。時には煩わしく感じる付き合いや、人との衝突を繰り返すうちに基礎ができて、たまには荷物の持ちっこができる力も養われる。運動すると筋肉痛が起きるが、それを嫌がっていたら弱くなるばかりだ。・・・・忘れていたよ、わたしも」』

帯には、「小粋なおばあちゃんが解き明かす「日常の謎」って書いてありますが、決して、「おばあちゃん探偵」のミステリーではありません。事件の謎解きのようなシーンもありますが、事件の謎解きが主題ではなく、あくまでも、お草さんのポジテイブな人生観が主題です。私は、六十五歳になって、無料でコーヒーをサービスする古本屋の開業ができるでしょうか?夢で終わるでしょうが、それも、人生です。何だか、美空ひばりの「愛燦々」の歌詞みたいになりました。最近、ちょっと、気持ちがネガテイブかな?気持ちのトレーニングをやらなくちゃ・・・ね。