「小さいおうち」

tetu-eng2013-04-06

「小さいおうち」
 中島 京子
 文春文庫
 2013年1月15日第2刷
 543円(税抜)

『もはや、わたしが女中奉公をしていた時代を知る方は一人もいない。
いつ、日本から「女中」という言葉がほんとうに消え去ったのかについては、きっと、専門に勉強している方もおられるような重大問題であろうが、私の記憶では、昭和四十年代くらいには、まだ残っていたように思う。』

 タキは、昭和5年の春、尋常小学校を卒業して、山形から女中奉公のため、上京しました。もちろん、まずしい農村のきょうだい六人の口減らしです。「女中」という職業は、平成の現代では、聞くことはありません。テレビドラマの「家政婦のミタ」が大ヒットしましたが、「家政婦」「家事代行サービス」というのが現代の呼称でしょうか?ただし、「女中さん」は、「通い女中」もあったようですが、基本的には住み込みですし、「家政婦さん」は、基本的には通いだと思います。私の記憶にあるのは、亡父が「ネイヤさん」に育てられたということを聞いたことがありますから、戦前の商家などでは、「女中さん」「ネイヤさん」は、一般的な職業だったのでしょう。

 タキさんが、奉公したのは、こぢんまりしたサラリーマン家庭の平井家でした。

『初めて時子奥様にお会いしたのは、家々の前に涼しげに水の打たれた、夏の午後のことだった。
 絽の着物に麻帯を締め日傘を差した大奥様に伴われて、目見えに伺った私の前に、若いサラリーマン向けの借家の並ぶ路地から、白地に青い水玉模様のワンピースを着て飛び出してきた。一歳半かそこらの恭一ぼっちゃんを抱いていたのに、まさに飛び出したような軽やかさで、お母さんというよりは近所のお姉さんが戯れに子を抱き上げてみたような雰囲気で、お嬢様とお呼びしたいほどの若々しさだった。
 娘のためにわたしを雇い入れた大奥様はおもしろそうに、
「これで、あなた、旦那様のシャツのアイロンかけから解放されたわ」
 とおしゃった。
 その軽口にうれしそうに笑って、こちらに向き直った奥様が、わたしに最初にかけられた言葉は、
「タキさんと時子、名前がよく似ているわね」
 というものだった。』

 この日から、時子奥様と恭一ぼっちゃん、もちろん旦那様とタキとの4人の戦前のあわただしい時代の生活が始まりました。物語は、タキさんの手記形式です。ときどき、現代に戻って、タキの甥っ子の息子がタキさんの手記を覗き見して、タキおばあちゃんに苦言を呈します。今から見ると、戦争前夜、戦中の暗い世相に思えますが、開戦するまでは、日本は、オリンピックや万国博覧会の招致で華やいでいた時期もあり、タキさんにとっては、暗い、つらい思い出よりは、時子奥様と恭一ぼっちゃんとの明るい、楽しい「赤い三角屋根の洋館」の「おうち」での思い出の方が、とても、大切だったのです。

『祝い終わった、さあ働こう。
 皇紀二千六百年の祝典が終わった後、町のあちこちには、そんな標語が立てられた。
 けれども、わたしが覚えている限りの時子奥様は、働くのは、まるで不向きだった。お祝いとか、お祭りとか、お出かけとか、お客様とか、「お」のつくことをなさるのが似合う方だった。ほっぺたを桃色に上気させて、楽しく過ごされるのが似合っていた。』

 時代は、否応もなく、生活に暗い影を落とし始まめ、物語は、意外な展開へとすすみます。2010年第143回直木賞受賞作でした。