「父の詫び状」

tetu-eng2013-06-15

「父の詫び状」
 向田邦子
 文藝春秋
 1978年11月25日第一刷
 1993年12月1日第四十三刷
 1262円(税別)

 1978年が、初版なので、昭和53年、35年前の発行の向田邦子さんの随筆です。この本は、1993年の刷なので、平成5年、20年前の本です。古本といえば、古本ですが、いわゆる貴重本ではありません。1刷で5000部を印刷したとすると、約20万部は発行されているので、ベストセラーの随筆ですね。装丁は、着物(和服)の滝縞のような模様で、ちょっと、粋な感じです。この装丁は、初版から同じだったのでしょうか?単行本の楽しみとして、この装丁の「良し悪し」は、大変、重要な要素です。

 向田邦子さんは、テレビドラマの脚本家であり、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」など昭和世代の私にとっては、懐かしいドラマを手掛けています。以前、「あ、うん」という脚本本を読んだことがありますが、これは、面白かったという記憶です。残念ながら、昭和56年に、台湾において、飛行機事故のためお亡くなりになりました。もう、30年以上前の出来事でした。

 「父の詫び状」は、同じタイトルの随筆のほか20数篇の小品から構成されています。いずれも、父、母、祖母、姉弟妹の家族を中心として、私生活を題材とした随筆です。脚本家だけに、舞台背景を意識した細やかな描写が特徴的な作品ではないでしょうか。

 「父の詫び状」の一節を紹介します。保険会社の支店長の父は、代理店や外交員の人たちを家に呼んで、酒肴を振る舞うことが多かった。ある朝、起きたら、母が玄関のガラス戸を開け放して、敷居に湯をかけている。私は、たまらず、母に代わって掃除を始めました。そのとき、父は、すぐうしろの上がりかまちのところに立っていました。父は、ねぎらいの言葉もなく、無言であった。

『ところが、東京へ帰ったら、祖母が「お父さんから手紙が来ているよ」というのである。巻紙に筆で、いつもより改まった文面で、しっかり勉強するようにと書いてあった。終りの方にこれだけは今でも覚えているのだが、「此の度は格別の御働き」という一行があり、そこだけ朱筆で傍線が引かれてあった。
 それが父の詫び状であった。』

 もうひとつ、「薩摩揚」の一節。

『平凡なお嫁さんになるつもりだった人生コースが、どこでどう間違ったのか、私はいまだに独り身で、テレビのホームドラマを書いて暮らしている。格別の才もなく、どこで学んだわけでもない私が、曲がりなりにも「人の気持ちのあれこれ」を綴って身過ぎ世過ぎをしている原点・・・というのは大袈裟だが・・・もとのところをたどって見ると、鹿児島で過ごした三年間に行き当たる。
 春霞に包まれてぼんやりと眠っていた女の子が、目を覚まし始めた時期なのだろう。お八つの大小や、人形の手がもげたことよりも、学校の成績よりももっと大事なことがあるんだな、ということが判りかけたのだ。今までひと色だった世界に、男と女という色がつき始めたというか。うれしい、かなしい、の本当が、うすぼんやりと見え始めたのだろう。この十歳から十三歳の、さまざまな思い出に、薩摩揚の匂いが、あの味がダブってくるのである。
 かの有名な「失われた時を求めて」の主人公は、マドレーヌを紅茶に浸した途端、過ぎ去った過去が生き生きとよみがえった。私のマドレーヌは薩摩揚である。』

 ながい、ながい、引用ですが、こんな文書が書きたいと思いますが、書けませんよね。「失われた時を求めて」は、カトリーヌ・ドヌーブ主演の映画、とうより、フランスの長編小説ですが、読んだことはありません。一生、読むこともない代物ですが・・・。それにしても、すばらしい邦訳の題をつけたものです。