「蹴りたい背中」

tetu-eng2013-07-15

蹴りたい背中
 綿矢 りさ
 河出書房新社
 2003年8月30日初版発行
 2004年2月20日48刷発行
 1000円(税別)

 7月8日に梅雨が明けました。平年より、10日以上も早い梅雨明けだそうです。今年は、梅雨入りが平年より10日以上早かったので、帳尻はあっているわけです。平年といいますが、僕の日記によると、一昨年は、7月8日に梅雨明けしていますので、奇しくも、一昨年と同じです。一昨年は、震災の影響で、電力需給がひっ迫して、強く節電を求められましたが、節電習慣が身についたのか、節電PRが影をひそめました。「人のうわさも七十五日」ということですか?梅雨明けから、10日間ぐらいが、湿度も高く、不快な日々が続くそうです。僕は、夏には強いと自負していたのですが、年齢と共に、自負が自虐になりそうです。

 史上最年少の19歳で芥川賞を受賞。「インストール」に続く、第2作目が「蹴りたい背中」です。「蹴りたい背中」って、どんな背中でしょうか?結論から言うと、彼氏?気になる男の子?の背中でした。高校生のちょっとゆがんだ恋愛感情からのアイロニーのような表現でしょうか?しかし、彼氏?気になる男の子?への想いを表現する言葉として、「蹴りたい背中」とは、どういう想いなのでしょうか?意表を突くような描写が、新鮮であり、綿矢りさのワールドなのでしょう。

 グループに入れない女子高校生の「ハツ」、と、同級生の男の子「にな川」。何故か、この二人、「オリチャン」というタレントを共通の話題として、接近します。この二人、変わっています。でも、変わっているのは、周りの者たちなのか?「ハツ」をグループに誘う中学時代の同級生「絹代」が、周りの者たちの代表です。

『私は、余り者も嫌いだけど、グループはもっと嫌いだ。できた瞬間から繕わなければいけない。不毛なものだから。中学生の頃、話に詰まって目を泳がせて、つまらない話題にしがみついて、そしてなんとか盛り上げようと、けたたましく笑い声をあげている時なんかは、授業の中休みの十分間が永遠にも思えた。自分がやっていたせいか、私は無理して笑っている人をすぐ見抜ける。大きな声をたてながらも眉間に皺を寄せ、目を苦しげに細めていて、そして決まって歯茎を剥き出しそうになるくらいカッと大口を開けているのだ。顔のパーツごとに見たらちっとも笑っていないからすぐ分かる。』

 19歳の綿矢りさの視点でしょうか?『余り者も嫌いだけど、グループはもっと嫌いだ』。そりゃ、そうだね。でも、人と人の繋がりのある社会は、自己中心的な我儘だけでは、通用しませんヨ。というのが、大人の考え方ですが、そんなことは、解っている。でも、直球も投げたくなる。そういう時期が、長い人生の途中にあってもいいじゃない。「ハツ」ってそんな女子高校生なのです。

 「インストール」も、「蹴りたい背中」も、同質の小説です。2008年に「夢を与える」という綿矢りさの3作目を読んでいますが、この作品は、少し、大人になって、愉快さが欠けているように思いました。「インストール」「蹴りたい背中」は、綿矢りさが19歳だから書けた作品ではないでしょうか?ほんとうのところ、僕は、登場人物の氏素性、バックグラウンドが不明瞭な小説は、好きではないのですが、芥川賞を受賞する純文学といわれる作品は、往々にして、その傾向があります。来週は、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」です。