「ネバーランド」

tetu-eng2013-09-15

ネバーランド
 恩田 陸
 集英社文庫
 2003年5月25日第1刷
 2010年6月6日第22刷
 514円(税別)

 2020年、東京オリンピック開催決定、おめでとうございます。前回の東京オリンピックは、昭和39年とのこと。僕は、たぶん小学校5年生でした。下関から博多の小学校に転校して、さらに、校区外に引っ越して間もなくのことだったと思います。母の交渉の結果、校区外から卒業まで通うこととなり、ホッとしていました。オリンピックの記憶は、もちろん、あとで様々の映像で見たもの以外には、なぜか、夜遅くまで金メダルを競った棒高跳び市川崑監督の記録映画の冒頭の競歩のプリンプリンと動くお尻の映像、それだけです。変な子供ですね。7年後、僕は、見ることができるかどうか判りませんが、日本に大きな目標ができたことは好ましいことなのでしょう。

 「ネバーランド」といえば、ピーターパンに登場する架空の国です。これも、20年前のお話。息子を連れて、新宿コマ劇場に榊原郁恵さんだったと思いますが、「ピーターパン」を観劇に行きました。ワイヤーで空中を飛んでいるピーターパンを見ながら口を開けていた息子の幼顔を想いだしますね。と、昔の話は、こっちに置いといて、この小説は、とある田舎の高校の学生寮である「松籟館(しょうらいかん)」を舞台とした青春物語です。

『松籟館は、このど田舎の伝統ある男子校の一角を占める古い寮である。
 寮生活を送る生徒は、全校生徒の約五分の二。一年生は新館の大部屋で暮らし、二年生と三年生がこの年代物の巨大な館に暮らしている。
 二階建ての木造家屋は、ゆうに築三十年は経過しており、幾何学的な瓦屋根と黒い羽目板に覆われた外観は厳めしく老獪な表情を見せている。』

 この「松籟館」に年末年始に帰省しないで残ることとした三人が居ます。篠原寛司、依田光浩、そして菱川美国(よしくに)。もう一人、通学組の瀬戸統(おさむ)も加わりました。

『普段学園生活では、いつも皆、絶妙なバランスの中で生活している。向き合う相手の反応やその場の雰囲気を読み合う、計算された会話、ガリ勉だと思われたくないし、つまらない奴だとも思われたくない。学園生活はバランス感覚が全てだ。いったんクラスの中における互いに割り振られたキャラクターを了承しあってしまえば、あとは約束された毎日を過ごしていける。その代り、寮生活というあまりのプライバシーの無さに、世界は単調で謎もなくなる。必要以上に他人に踏む込むこともなく、己を深く掘り下げる暇もなく、空気のように暮していく。逆に、そうでもしなければ、他人とのあまりの距離の近さに精神が破綻してしまう。実際、そのために寮を出てしまった生徒が何人もいるのだ。
 だが、三人だけで二週間暮すとなれば話は別だ。クラスの四十人がいればこそ割り振ることのできたキャラクターもここでは役に立たない。この三人の間で、互いに新たな役割を振り当てなければならないのだ。』

 こうして、三人と一人の楽しくて、面白くて、そして、・・・・の新たな役割が割り振られた共同生活が始まります。一緒に、買い物に出かけ、一緒に、食事をつくり、一緒に、食事をして、夜、遅くまで、ゲームに興じ、また、語り合う。やがて、それぞれの環境の違い、悩みを吐露しながら、お互いを知り合い、そこに、深い友情が芽生えてくる。まさしく、青春グラフィティですネ。もう一度、この年代に戻りたいと思っても、人生の中で、二度と体験できない、一番、多感な世代のお話です。多分、似通った経験は、皆、持っていると思いますが、もう、覚えていないし、その時の心の中って表現できませんネ。それを、再現してくれるのが、小説ではないでしょうか?だから、僕は、青春小説は好きです。もう、戻れない「あの時」を想いだすために。