「センセイの鞄」

tetu-eng2013-12-15

センセイの鞄
 川上 弘美
 平凡社
 2001年6月25日発行
 1400円(税別)

 この本、装丁が、気に入ったので、BOOK・OFFで買いました。しかも、ほとんど、読んだ形跡のない新古本ですね。本は、もちろん、小説自体が面白いことは、当然ですが、装丁・題字・イラストのセンスの良さも必要です。どんなに、良い小説でも、装丁が良くなければ、読者に手に取ってもらえないでしょう。こう言ってしまうと、この本の小説は、どうでもいいのか?ということになりそうですが、「センセイの鞄」は、読みたい小説のひとつでした。たまたま、BOOK・OFFで見つけて、しかも、10年前の中古にしては美装だったので、ラッキーでした。本は、ただ、読むだけならば、文庫本で十分でしょうが、やはり、単行本、しかも、装丁のしっかりしたものが、いいですね。

『正式には松本春綱先生であるが、センセイ、とわたしは呼ぶ。
 「先生」でもなく、「せんせい」でもなく、カタカナで「センセイ」だ。
 高校で国語を教わった。担任ではなかったし、国語の授業を特に熱心に聞いたこともなかったから、センセイのことはさほど印象には残っていなかった。卒業してからはずいぶん長く会わなかった。
 数年前に駅前の一杯飲み屋で隣あわせて以来、ちょくちょく往来するようになった。センセイは背筋を反らせ気味にカウンターに座っていた。』

 大町ツキコさん三十七歳(センセイと再会したとき)。「センセイ」は、ツキコさんより三十と少し離れています。センセイと再会してから、2年。センセイとツキコさんのゆったりとした時間がのったりと流れていきます。一杯飲み屋、キノコ狩りに出かけた山、お花見の土手、そして、旅行に出かけた島、センセイの家、夢の中での干潟。やさしい文章と短いセンテンスで綴られているやさしい恋の物語。むかし、「老いらくの恋」なんて言葉が流行りましたが、センセイの恋には、そんな言葉が失礼になるような潔さがあります。
 なんて言って、俗に言えば「うらやましい」かぎりですが、僕には、りっぱな「山の神」が鎮座ましましているので、「もう恋」なんて、でしょう。でも、ひょっとして、居酒屋で僕の隣に、三十七歳の女性があらわれて(三十七歳より、もっと、若い方がいいかも?いやいや、若いと話があわないかも?なんちゃって。)、その見目麗しき女性が昔の旧知の方で、話が弾み、再会を約し・・・・いかん、いかん、妄想が、妄想を呼んでいます。そんなことが、現実の世界で、あるはずがありません。僕に限って言えばですよ。

『デートに誘われた。センセイに誘われた。
 デートなんて言葉を使うのも恥ずかしいし、センセイとは二人で旅行にも行った仲(「仲」というような仲には、むろんなれなかったのだが)だし、デートといったって美術館に古い書を見に行くという、学生時代の修学旅行のような内容のものらしいのだが、しかし兎にも角にもデートである。なによりも、センセイみずからが「ツキコさん、デートをいたしましょう」と言ったのである。』

 そして、センセイとツキコさんは、・・・・・

『「ツキコさん」と言いながら、センセイはまっすぐに座りなおした。
 「はい」と、わたしも背中をまっすぐにたてなおした。
 「そういうわけで」
 「はい」
 しばらくセンセイは沈黙した。うす暗くて、センセイの顔が見えにくい。ベンチは街灯からいちばん遠い位置にあった。センセイは何回か咳ばらいをした。
 「そういうわけで」
 「はい」
 「ワタクシと、恋愛を前提としたおつきあいをして、いただけますでしょうか」
 はあ?とわたしは聞き返した。センセイ、それ、どういう意味ですか?もう、わたし、さっきからすっかりセンセイと恋愛をしている気持ちになってるんですよ」』

 小説って、ほんとうにおもしろいですね。