「蜩ノ記」

tetu-eng2014-09-21

蜩ノ記
葉室 麟
祥伝社文庫
平成25年11月10日発行
686円(税別)

 「蜩(ひぐらし)」は、蝉の一種です。

 細君との雑談。最近、蝉と言えばクマゼミしか見ないようになった。昔は、ミンミンゼミ、アブラゼミクマゼミツクツクボウシ、ヒグラシと、夏の初めから秋の始まりまで、季節ごとに蝉の鳴き声が変わっていたと思う。これでは、昆虫採集も大変であろう。何せ、クマゼミしかいないのだから・・・?これも、地球温暖化の影響であろうか?

 この本、実は、昨年の秋に購入後、机の上に平積みしてある本の中に紛れていました。ちょうど、映画のコマーシャルを見て、

― あっ、そうそう、まだ、読んでいなかった

 と思い出して、「日本人の心をふるわす傑作時代小説」「第146回直木賞受賞作」を読了しました。

 うむ、帯に偽りなし、文句なく、面白い。久しぶりの時代小説でしたが、藤沢周平を彷彿させるものがあります。いわゆる娯楽時代小説とは質が違いますね。ぼくは、葉室さんの小説を初めて読みましたが、ファンになりそうです。

 物語は、豊後羽根(うね)藩において、檀野庄三郎の城内での不始末から始まります。本来なら、切腹を申し受けるところ、それと引き替えに、ある男の目付を命じられます。

 ある男とは、元郡奉行戸田秋谷(しゅうこく)。秋谷は、七年前に前藩主の側室との密通を疑われ、家譜編纂と十年後の切腹を命じられていました。庄三郎は、家譜編纂の補助と秋谷の監視が任務です。

 秋谷は、山深い向井山村に、妻の織江と長女の薫、十歳になる郁太郎との三人暮らしでした。そこで、同居して、秋谷とその家族と生活するうちに、秋谷の清廉さ、すがすがしい家族あり方に、心を動かされ、やがて、秋谷の無実を信ずるようになります。

 さらには、家譜の編纂に秘められている事実、公になってはならない事実とは・・・・。

『 八月八日の朝を迎えた。
秋谷の切腹は、長久寺の境内で行うよう数日前に藩から達しが届いていた。

織江が書斎で茶を点てる間、庄三郎と薫、郁太郎は板の間に控えた、検分役が来るのは午だと知らされている。それまで、秋谷と織江がふたりだけで時を過ごせるように三人は気遣いを見せた。
秋谷は茶を口にしつつ、しみじみとした声で訊いた。
「われらはよき夫婦であったとわたしは思うが、そなたはいかがじゃ」
織江は昨夜泣いたらしく、目の縁を赤くしていたが、それでも気丈に笑みを浮かべていた。
「さように存じます。わたくしはよき縁をいただき、よき子らにも恵まれたと思うております」
「悔いはないか」
「はい、決して悔いはございませぬ」
織江が迷いのない返答をすると、秋谷は微笑んだ。
「わたしもだ」
言い切った秋谷は、織江にやさしい眼差しを向けて縁側へと誘った。
「きょうも暑くなりそうだな」
「さようでございますね」
ともに眺める景色をいとおしむかのように、ふたりは庭を眺め続けた。時おり、風が吹き渡って竹林をざわめかせ、カナカナと蜩の鳴く声が聞こえる。』

 
 引用が長くなりましたが、目頭が熱くなるシーンです。映画では、これがラストシーンでしょうか?