「珈琲屋の人々」

tetu-eng2014-10-12

「珈琲屋の人々」
池永 陽
双葉文庫
2013年年4月17日発行
619円(税別)

 「珈琲屋」というのは、「喫茶店」ですね。しかし、関西では、「珈琲屋」という看板は、あまり見かけませんが、何故、池永さんは、「喫茶店」としないで、「珈琲屋」にしたのでしょうか?最近、「珈琲屋○○」というFC展開しているチェーン店もあるようですが・・・。

 いまは、スターバックスやコンビニのプレミアムコーヒーなどに押されて、昔のような「喫茶店」は、廃業しているようです。僕の記憶に残る「喫茶店」は、三島の楽寿園の近くの「欅」、大学1年生の頃にキナって、入り浸りました。次は、水道橋の「青い鳥」、ここも大学時代ですね。お決まりのように看板娘がいましたが、風の噂で、一緒に入り浸っていた先輩と結婚したとのこと。

残念ながら、社会人になってから、「喫茶店」の馴染みってなくなりました。会社で、コーヒーメーカーの珈琲を2杯ほど、飲む程度ですね。家では、以前、コーヒーミルで豆をゴリゴリして、ドリップで入れていましたが、いつの間にか、面倒になり、簡便な方法に変わりました。

僕としては、6人のカウンター席と窓際に4人掛けのボックス席が2セット程度の喫茶店が理想ですね。店内の造作は、黒くくすんだがっしりとした木製で、バックミュージックに軽音楽若しくはハワイアンもいいかな?が流れて、観葉植物が二鉢。カウンター奥は、マスターと看板娘が一人。そんな店の一番奥のカウンター席で、ゆっくりと文庫本を読みながら、珈琲を一杯。でも、30分ぐらいで、長居はしない。そんな店、すぐ、つぶれそうですね。

『 行介は丸々七年以上の間、岐阜刑務所で服役した。家に帰ってみると珈琲屋は閉じられ、父親の芳治は心臓を患って寝たり起きたりの生活をしていた。
「よう、無事に努めあげたな」
行介の顔を見て芳治が最初にいった言葉だった。両目が潤んでいた。』

行介は、バブルのときに地上げに来たチンピラを殴り殺してしまった。弁護士は、殺意を否認することを薦めたが、それをしなかった。

『 行介が最初にやったことは珈琲屋を再び開くことだった。前科者の自分を雇ってくれるところなどはなく、それでも生活はしていかなければならなかった。家業である喫茶店を開くのがいちばんいい選択に思えた。
といっても金に余裕があるはずもなく、改装などは到底無理なので行介はひたすら店の清掃に励んだ。何日もかけて店のあらゆるものをみがきつづけた。
珈琲屋は木造りの店だった。
店の正面も店内も用いられているのは、がっしりとした樫材だった。合板ではなく無垢の木がそのまま使われていているので、雑巾で一生懸命みがきこめば確実に応えてくれて艶が出た。』

その珈琲屋を訪れる人たちの人間模様が、雲が流れるように、力まず、優しく、書き綴られた小説です。

『 「マスター」
と英治が行介に声をかけた。
「人を殺すということはどういうことなのか、教えてくれませんか」
行介の眉間に深い縦皺が刻み込まれるのがわかった。
「・・・・・人を殺すということは」
行介が真直ぐ英治を見た。
「人間以外のものになることです。二度と人間には戻れないということです」』