「紙の月」

tetu-eng2014-12-07

「紙の月」
角田 光代
角川文庫
2014年年10月8日発行
590円(税別)

年末の慌ただしいときに、と言っても、僕は、ちっとも、ただ、12ある月のうちの一つの月に過ぎず、特別に変わったこともなく、平々凡々と過ごしています。それでも、世の中は、クリスマスシーズンで、通勤途上のお店は、イルミネーションで飾られて、きれいに彩られています。

そのことが、却って、代わり映えのない生活をしている僕には、寂しく感じてしまうのは、何故でしょうか?これって、年をとったと言うことでしょうか?代わり映えがないことが、一番、幸せなことだと思ってしまう今日この頃です。

さて、多くの作品で、あらゆる文学賞を総なめにしている角田(かくた)さんですが、僕は、過去に彼女の作品を読んだことがありません。いつか、読んでみたいと思っていましたが、宮沢りえ主演の映画化のコマーシャルを見て、書店で、「紙の月」を手に取りました。

『 人がひとり、世界から姿を消すことなんてかんたんなのではないか。
タイのチェンマイに着いた数日後、梅澤梨花は漠然と考えるようになった。
姿を消す。といっても死ぬのではない。完璧に行方をくらます。ということだ。そんなことは無理だろうとずっと思っていた。思いながらこの町までやってきた。』

梅澤梨花。四十一歳。夫は、海外勤務のサラリーマン。子供なし。梨花は、地方銀行の営業の契約社員。なかなかのやり手の社員。生活に困っているわけではない。でも、何か、満たされない生活の日々が続きます。
満たされない生活というものがどういうものか?たぶん、毎日、会社に行っているサラリーマンの僕には、よく分からない感情かもしれません。逆に、世の中、そんなに満たされている人なんていないんじゃないですか。だから、梅澤梨花が、1億円もの横領をした動機が、僕には、分かりません。

『 さっき顧客から預かった現金入りの封筒に、咄嗟に手が伸びる。鞄のなかに手を突っ込んで封筒から紙幣を取り出し、五枚揃えて梨花はカウンターに置いた。何も考えていなかった。迷いもなかった。定員がそれを手にレジへ向かってから、梨花はやっと自分が今何をしたのか理解した。それでも罪悪感は不思議となかった。駅に銀行のATMがある。帰りがけに五万円おろして、元に戻せばいいだけだと思った。』

梨花の手口は、至って簡単でした。顧客の通帳に記帳する預金から、証券発行の預金に変更することでした。通帳だと、記帳することにより、預金の増減が明確になりますが、証券は偽造することにより、証券の真贋を確認しないお年寄りに、偽装証券を渡せばよかったのです。この手口により、梨花は、偽造証券を造りまくり、とうとう、1億円を横領してしまいます。

横領した金は、何に使ったのか。これは、もう、お決まりの若い男というのが、まあ、ありきたりのお話です。そして、梨花は、国外逃亡を図り、チェンマイで、姿を消そうとしているのです。

ストーリーは、平凡で、梨花には犯罪への緊迫感がなく、何となく、サスペンスとしては、迫力に欠けるかなというのが感想です。ただ、横領をする人は、罪を犯すという認識を持たずに知らず知らずのうちに、ちょっと、借用するつもりだったがそれが雪だるまのようにふくらんでいく、そんなものなんでしょう。