「諸行無常」

tetu-eng2014-12-14

諸行無常
高倉 健
文藝春秋
2014年年12月発行
930円(税別)

高倉健さんが、亡くなって、続いて、菅原文太さんが、亡くなりました。映画界の一時期を担った俳優が居なくなりました。いずれも、任侠映画が盛況の時代でしたね。そのころは、僕は、鶴田浩二さんのファンでしたが、鶴田浩二さんは、もう一世代ほど上の俳優さんでした。

ちょうど、「あなたへ」のDVDを鑑賞して、2か月後でした。妻の散骨の旅に出た男の生き様、僕も、リタイアして、夫婦が健在ならば、旅に出たいな!なんて、映画に感化されていた時でした。追悼番組の「黄色いハンカチ」、見ました。マツダの赤いファミリアが流行したのは、この映画の後だったでしょうか?経営難のマツダを救った映画だったのじゃないでしょうか。

高倉健さんの遺稿です。文藝春秋の巻頭のわずか6ページ。原稿用紙にすれば15枚程度でしょう。文藝春秋が依頼していたのですが、亡くなる4日前に完成したそうです。ほんとうに、病床で丁寧に書き綴られたものですね。

タイトルは、「諸行無常」そして、最後は、「合掌」で締めくくられています。すでに、自分の寿命を感じていたのでしょうか。

『長い俳優人生の中で、自分を変えた一本と問われれば、1977年に公開された「八甲田山」。東映という大きな組織から独立し、「君よ憤怒の河を渡れ」という大映作品出演後の一本。フリーになった時、掛け持ちはしない。“一本”に精魂込められる俳優を目指すことを決意した。取り組んだその一本の成功がしなければ、次のオファーはないと覚悟したからだ。』

八甲田山」の撮影は三冬、三年をかけたそうです。その間、CMも含めて、一切、掛け持ちをしなかったため、財産を処分して、暮したそうです。原作は、新田次郎の「八甲田山、死の彷徨」。昭和47年ごろだと思います。ちょうど、沖縄が日本に返還され、冬季オリンピック札幌大会が開催されたころです。この小説を読んだとき、まさか、映画化されるとは思いませんでした。俳優という職業も、命がけです。

『ロケ中安宿でのある晩、森谷監督が酔っぱらって、「ちょっと話していい?健さんは、どうしてそんなに強いの?」と、泣き出したかと思うと、とうとう抱き付いてきた。
僕はしらふで、「生きるために必死だからですよ!」と、つい本音が口を衝いた。』

「生きるために必死だからですよ!」って、どうして言えるでしょうか?僕は、昔、「君はなぜ、この会社に入社したの?」って問われたことがありました。今の学生ならば、「御社の社風に共鳴して・・・」なんて、上手に言うのでしょう。社風なんて、30年勤めても解らない。僕は、「糊口をしのぐためです。」と、答えました。健さんに限らず、みんな、生きるために必死なのです。でも、そう表現できない。多分、みんな、見栄っ張りで、恰好を付けるのでしょう。

健さんは、正直な人です。そこが、魅力なのでしょう。僕たちの持っていない正直な気持ちを表現できる術を持っている。

『「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いはなし」』

合掌