4月になってから、季節は春かと思っていたら、気温は、2月、3月、5月って、4月の気温がありません。平均すれば、平年並み、そりゃ、変でしょう。
おまけに、「春に3日の晴れなし」のお天気ことわざのとおり、雨の日が続き、先週は、傘を持たずに、出勤したのは、木曜日だけでしたね。
これじゃ、体調が芳しくないのも、やむを得ませんね、と、不調を天候の所為にしながら、ぐっと天を仰ぎます。まあ、朝起きて、絶好調なんて日は、もう、望めないかもしれませんね。
そんな、愚痴を言いながら、昭和十三年に発表されて、当時、40万部のベストセラーとなった「天の夕顔」を読みました。何で、そんな古い本を・・・・?たまたま・・・・たまたまですね。中河与一さんという作家、僕は、知りませんでした。横光利一、川端康成などと同年代で浪漫主義文学の名作と言われた小説だそうです。
日本版のゲーテの「若きヴェルテルの悩み」だそうです。う〜ん、高校生のころ、読んだような記憶がありますが、内容は、もう、覚えていません。シャイな高校生の間で、「ヴェルテルの悩み」という単語が遊んでいたのかも知れません。
『わたくしにはもはやあきらめようにもあきらめようがなく、地上における美しさを求めて、それが求めきれない悩みの中に陥っていたのです。わたくしは久しぶりにあの人に逢い、いよいよその存在の深遠さがわたくしを囚えてしまうのを感じたのです。人はおそらく笑うかもしれません。この荒唐無稽の心理を。』
この小説、簡単に言えば、京都の大学生が、年上の人妻に恋をして、そのまま、彼女が死ぬまで想いつづけるという、何ともロマンたっぷり、現代の世相からすると奇想天外な物語です。こんな、ドロドロの純愛小説は、いまじゃ、誰も読まないでしょうね。
『それでもわたくしは今、たった一つ、天の国にいるあの人に、消息する方法を見つけたのです。それはすぐ消える、あの夏の夜の花火をあの人のいる天に向かって打ちあげることです。悲しい夜、わたくしは空を見ながら、ふとそれを思いついたのです。
好きだったのか、嫌いだったのか、今は聞くすべもないけれど、若々しい手に、あの人がかつて摘んだ夕顔の花を、青く暗い夜空に向かって華やかな花火として打ちあげたいのです。』
七つ歳上の人妻は、神戸に住んでいますが、神戸の熊内(くもち)です。何故、マイナーな地名がでてくるのか?布引の山から北野坂を下りて三宮まで歩く場面は、神戸の住人としては、戦前の神戸がどんな風景だったのか、興味があります。
こういう小説がベストセラーになったということは、戦前の日本人は、とてもロマンチストだし、非常に純粋な心理を持っていたことが想像できますね。たまには、古典的な小説も、面白いですね。読んでいて、風景がセピア色に想われます。そう、セピア色の小説です。
『どんな困苦も、どんな寂寥も、あのひとのためと思えば、わたくしには何でもなかったのです。しかしそんなに思いつづけていた人を、今わたくしはこの地上から、見失ってしまったのです。
わたくしは泣いて泣いて、眼がつぶれそうに思われました。しかし二十三年の間に、わたくしは何か心の苦悶のあとに、地上における愛情のはかなさを、既に理解していたのです。わたくしの心にはもはや、なにかの用意があったようにも思われます。
このあわれな男の話を、狂熱の誤謬に似た生涯を、どうぞ笑って下さい。』