「スクラップ・アンド・ビルド」

tetu-eng2015-08-30

「スクラップ・アンド・ビルド」
羽田 圭介
文藝春秋九月号

27日の木曜日から、ちょっと、遅れた夏休みで4連休でした。

あの、あの、酷暑が嘘のように、朝夕は、秋風が吹くようになりました。寝る時も、クーラーが要らなくなり、窓を開けて寝ると、朝方は冷たい空気が部屋の中に忍び寄るようにもなりました。季節の移り変わりとは、人智を超えるものです。

JR神戸駅クリスタルタワーからの眺めも、空はスッキリ晴れて、秋空の気配さへ感じさせます。でも、まだ、生徒諸君は、夏休みの宿題の追い込みに躍起のことと思います。

この夏休みの間に、半年ぐらい、あれやこれやと迷っていた、3本目のウクレレを買いました。1本目は、10年ぐらい前かな?買っただけで、埃をかぶっていたのですが、5年ぐらい前から、一念発起して、ウクレレに目覚めてしまいました。「kaala」のKU―1という型式のソプラノウクレレです。2本目は、「aNueNue」というメーカーのコンサートウクレレ。音色は、ホールが大きいのでギターに似ています。

そして、3本目は、再び「kaala」のニューモデルのKU―1Sという型式で、ソプラノウクレレのロングネックです。マホガニー単板で、重量感、質感がよく、音色も、落ち着いた感じですね。これで、弾き手がステップアップすればいいのですが、「弘法は筆を選ばず」と言いますが、ぼくは、弘法大師さんではないので、道具を選び、結局、ウクレレマニアになってしまいそうです。
 

そのうち、楽器屋さんのショーウインドーに飾られたビンテージのウクレレが欲しくなると思いますが、うむ、それまでに、どれ程、技量が上達するか?まあ、自分が楽しめれば、それでいいでしょう。年も年だし、技量は、ボチボチですね。

前置きが長くなってしまいました。

第153回芥川賞は、こんなにも世間から注目されて、出版界はバブルですね。それもこれも、ピースの又吉さんのおかげです。今回は、「火花」と「スクラップ・アンド・ビルド」のダブル受賞です。ぼくは、「火花」については、辛口コメントを書きましたが、某番組で、瀬戸内寂聴さんは、べたホメでしたね。

「スクラップ・アンド・ビルド」は、自宅で祖父の介護をする健斗を通じて、老いの苦しみ、家庭介護の実態、老人医療の現状など、今、まさに、日本の現在が抱えている大きな、大きな問題を一つの介護の現場の家庭からあぶりだしています。

ぼくにとっても、そう遠くない将来であり、しかも、誰もが通っていく道でもある老後です。それでも、「スクラップ・アンド・ビルド」では、正直に老人の思い、家族の思いを吐露して、決して、老後の生活を飾りたてるでもなく、「ああ、こういった老後がある」ということを感じさせる作品に仕上がっています。ある意味では、最近の芥川賞には珍しく社会派作品と言えるでしょう。

『「健斗にもお母さんにも、迷惑かけて・・・・本当に情けなか。もうじいちゃんは死んだらいい」
顔をしかめながら小さな手で全身のあちらこちらを揉む祖父からは、切実さが漂っている。数ケ月前に倒れた時の眼球内出血で未だに右目の視界がかすみ、補聴器の調子が悪くなればなにも聞こえず、いくら調べても原因不明な神経痛があり ーーーー つまりは本人にしかわからない主観的な苦痛や不快感だけは、とんでもなく大きいのだ。現代医学でもやわらげようのない苦痛を背負いながら、診断上は健康体であるとされ、今後しばらく生き続けることを保証されている。祖父が乗り越えなければならない死へのハードルは、あまりにも高かった。』

「死へのハードルは高い」これが、老人介護問題の究極でしょうか?人は、必ず、運命を乗り越えることはできないのです。ただ、ただ、受け入れるのみです。